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naki's blog

【特大号】サーフィン研究家_永原レキくん_宮沢賢治のひとり旅_(3005文字)

千葉北。

玉前神社前、上総一ノ宮海岸。

水が温かくなりました。

とは言っても、

南風一吹きで冷水になる恐れがあるので、

「千葉波は、南風が強く吹くまでは温かい」

そんなキーワードをここにおきます。

Tamasaki Shrine, Chiba

.

玉前神社は、

朝陽を各地に振り分けている。

いまから1000年前の日本は、

この光の方向によって、

霊感の鍵となるものや、

奇縁などを知ろうとしていた。

いわゆる『方学』である。

 

この冬、

中村竜くんに

『サーフィン研究所』という言葉を授かった。

その支社は各地にあり、

私は行く先々で、

研究所を発足させてサーフィンを研究している。

また、

サーフィン研究所は、

波に乗ることを愛する人の、

心の中にもある聖地でもあります。

『サーフィン研究家』

そんなサーファーでありたい。

これは四国の研究所。

かなり研究させていただきました。

さて、

新聞マニアであり、

大手各誌を一日中かけて読んでいる。

中でも地方新聞である高知新聞を読んでいるのは、

浦ノ内の高知新聞金山所長のおかげである。

経緯はこちらに↓

【ドラグラ・タイムス特大号】カノア五十嵐CT初優勝!!!_そしてドラグラ花火師への招聘_(3439文字)

高知新聞を購読してみると、

夢枕獏さんの連載小説『白鯨・Moby―Dick』が毎日読めることを知り、

毎日欠かさず読んでいる。

昨日、土曜日の朝刊に『4社連載企画』が掲載された。

(高知新聞、徳島新聞、四国新聞、愛媛新聞)

これは四国規模の

『地域を創る 四国を拓(ひら)く』

という特集記事で、

その第八十二回目は永原レキくんの記事だった。

永原レキくん。

彼はの超思想のグレイトサーファーであり、

千葉公平さんの十大弟子の一人であり、

広大なる自由を持つ、心優しき自然派だ。

セカンド・ジェネレーションの極まったサーファーであり、

サーフィンのスタイルも、

ウナクネ・マインダー(現在表記はドラゴン・マインダー)。

昨日のレキくん。

渋谷区で藍染めのスケートランプを展開していた。

.

レキくんは、

地元である徳島県の室戸岬の御厨人窟(みくろど)で、

空海からのメッセージを感得して、

私にそれを伝えてくれた。

彼は、

『海に入った人工物(消波ブロックや堤防)を取り除く』

ということが可能だと、

私たちに芽生えさせてくれ、

のみならず、次の世代に花開くものを咲かしてくれた。

ずっと応援しています。

閑話休題。

(話は変わって)

私はサーフィンを研究しつつ、

宮沢賢治さんを追い求めている。

それは私の母親から続く、

セカンド・ジェネレーション的な思想なのだが、

40年くらい休止していた。

【注意】
ここからは宮沢賢治さんのファン、
そして大正昭和文学ファンへ、
ここに私なりの研究結果をしたためてみました。
(宮沢賢治の死生感とか、
宇宙観に興味がなければつまらないです。笑)

私は、

小学校低学年のとき、

宮沢賢治作品『銀河鉄道の夜』と出会った。

これは未完とされているのだが、

その主な理由は、

章1と3だけが原稿に残り、

それらを研究家や編集者たちが、

パズルのように当てはめて物語にしているから。

(この作品も賢治の死後に発表されている)

『銀河鉄道の夜』は、

さらに大きく分けて2種類存在していて、

1つ目は、

初稿〜第三稿までの

『ブルカニロ博士の実験により、

ジョバンニが夢で銀河鉄道の旅をしていた』

というもの。

だが、

第四稿になると、

博士の仕業ではなく、

ジョバンニが自分で旅を続けるというものに大きく変更し、

ブルカニロ博士は、

チェロの声色と共に消されてしまったのだ。

幼少時の私が最初に読んだのは、

SFチックなブルカニロ博士バージョンだったようで、

その後の最新版を今読み解こうとすると、

宗教的な磁力を帯び、

銀河鉄道がより真の旅、

そしてやカンパネルラが、

賢治の妹のとし子のイメージを重ねながら読むと、

その霊界の遠さが宇宙の深遠に思えてくる。

さらに調べていくと、

彼の”はじめてのひとり旅”が大正12年にあった。

そのときに書かれたものが興味深い。

銀河鉄道の夜を書いた宮沢賢治の骨格だと思えたので、

そのことを抜き出してみた。

1923年7月31日

東北本線下り「八〇三号」

宮澤(宮沢)賢治は、

花巻駅を午後九時五十九分に出発する。

北海道を経由して、樺太半島までの一人旅だった。

『宮沢賢治「銀河鉄道」への旅』より、萩原昌好著、河出書房新社刊

宮沢賢治はその旅で、

10編もの詩文をまとめた。

前出したが、これが興味深かったので、

彼にとって、

この旅のテーマは何だったのだろうかと知りたくなった。

検索すると——当然だが——

宮沢賢治さんを研究されている人が大勢いて、

その中の一人がこんなことを書いていた。

「『樺太にいる先輩に生徒の就職をお願いしに行く』

そんな名目の樺太(サハリン)だったが、

そのことではなく、26歳の宮沢賢治、

彼の心の中のテーマはなんだったのか?」

宮沢賢治は、

就航したばかりの稚泊航路の船に乗り、

(稚内港 – 大泊港)

8月3日の朝に大泊

(現:ロシア、サハリン州コルサコフ)に到着し、

その先輩に生徒の就職をお願いした。

そして、

樺太鉄道で終点まで五時間十分かけて行き、

最終目的地であったオホーツクの、

栄浜駅(現:ポロアントマリ)に到着した。

こここそが宮沢賢治が言う、
われらが上方と呼ぶその不可思議な方角

(『春と修羅』より)

妹とし子の魂が残る地ではなかったのだろうか。

(このことは後述します)

Sakaecho, Oodomari Machi,

宮沢賢治が訪れた樺太、

大泊町栄町の街並み。

.

翌日の賢治は、

興奮そのままに早朝の海岸を散策し、

『オホーツク挽歌』を書いた。

後半に好きな箇所があり、

抜粋してみると、

鳥はただ一羽硝子笛を吹いて
玉髄の雲に漂つていく

ここまで神的で、

美しい光景だと伝わってくる。

そして、

この後、『樺太鉄道』を書く。

おお満艦飾のこのえぞにふの花
月光いろのかんざしは
すなほなコロボツクルのです
(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)

賢治は、

海沿いの栄町で満開錦を見たのだろう。

淡い色のかんざしに素直な小人(とし子)を想った。

(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)

このカッコ内の言葉が一切わからなかったが、

Googleで調べてみると、

これは『妙法蓮華経』のサンスクリット読みだとあった。

賢治は妹”とし子”を九か月前亡くしているため、

上方の不可思議な方角

というこの地で彼女の魂を探していた。

そして、

彼独特の「スケッチ、詩文」という言霊にしたためて、

天界と通信し、

私は法華経に帰依しますと、

文内で宣言していた。

宮沢賢治は、

私が知る限り、

すさまじいまでの実直であった。

とすると、妹の死によって、

仏教に傾倒し始めた賢治がここに立ちのぼってきた。

仏教が伝える言葉は、

さぞかし賢治を支えたことでしょう。

私は、

さらにイーハトーブ(理想郷)というキーワードを探っていた。

ちなみに賢治が花巻から感じた

上方の不可思議な方角は、北12.6°。

子(ね、し)の方角であり、

『子午線』の北と癸(みずのと)の中間だった。

ミズノトは陰陽五行説では水だ。

とし子は水の精だったのかもしれない。

その魂を賢治はここから永遠に探し続けるのだが、

この旅が始まりだと思うと、

彼がこの旅で書いた詩文が、

ちょっぴりだけ、

意味を持って読み解けるようになった。

Happy Lifestyle!