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naki's blog

【ドラグラ方丈記】バレルメイクに向けて_ベンチュラ・セイジ編(2791文字)

ベンチュラ・セイジと電話で話した。

電話と言ってもフェイスタイム・オーディオ。

こういうことをきちんと書くのは、

後日これを読んだときに時代がわかるからだ。

黒電話や公衆電話の記憶というものが薄らいでいく。

下宿先では「呼び出し」という電話もあった。

さて、ベンチュラ・セイジ

彼の故郷は、

カリン塔と呼ばれるほど高い山の上にあり、

そこには広大な果樹園が拡がっている。

麓には、

世界に誇る清流があり、

この山は、

それを何万年も吸い上げ、

たわわに実る果実や野菜を育ててきた。

この太い(大きいという意)清流が海で結実する。

豊かで、清らかな流れ。

その終着、つまり仏教で言う涅槃だろうか。

台風8号、

フランシスコからのうねりがサイズを上げてきた。

いわゆるカミングアップである。

パラソル前に向かうと、

遠くレフトに2人いて、

100m離れたセンターピークが5人。

そしてパラソル前は無人だった。

良いバレルを得たが、なぜかメイクできなかった。

そのときはグレムリン(小鬼)の仕業かと思っていたが、

連続写真を得たので、

なぜできなかったのかをここで説明できる。

失敗は成功の例。

失敗から成功へとつながった例では、

ダルビッシュ投手の左打者に対しての直球であり、

少し前だと、

イチローさんのセカンドゴロである。

どちらもこのことで「気づき」があり、

そして完成したという。

『災い転じて福と成す』

ワイプアウトを災いと言ってもいいのだが、

失敗してもサーフィンならそこまでの被害はない。

これがモータースポーツだと、一大事になる。

誰にでも自分がやり込んだサーフブレイクはある。

セイジにしてみれば、

初回は実兄森ヤンと一緒に行った

エアポート・バンクでのセッションが忘れられないという。

ただ、サーフィンというより、

「いかに無事に陸にたどり着くか」

というほど流れが強かったのだという。

森ヤンは普通にサーフィンしていたというので、

これはセイジがパドリングできなかったためで、

「泳ぐ」

という普段の生活ではあまり必要がないことがサーフィンでは重要となる。

こういうことも含めて、

サーフィンが危険と言われる所以(ゆえん)です。

サーフィンを始めたばかりの人は、

パドリングの練習をしましょう。

実際にパドリングは辛く、

つまらないものですが、

楽しくなるように工夫して、

海に入る前までにプールでも池でも湖でも何回も練習して、

累計4キロを目指して練習しましょう。

セイジにこの画像を送ると、

『行く波のながれは絶えずして、しかも本の波にあらず』

方丈記の文体で、

波のことを表現してきた。

国文好きの私にとって、

うれしすぎる返信だった。

「河の流れに絡みつきながらせせりたつウネリ。
それに相対(あいたい)する広報部長の青春。
目の前に広がるロングウォール。
土佐ドリフトという言葉が躍る瞬間」

さすが、

京都大学の秀才は違うね。

文学の下地があるなぁ。

Tyler Warren Dream Fish 6’7″

with Gains Twin

.

いやいやそんなことはございません。
ただ、
日本の文学が好きなのでございます。

どちらにしてもすごいね。

世の中にあるサーファーとは、
またかくの如し(このようなもの)。

玉しきの波の中にむねをならべいらかをあらそへる。
(輝く波に乗り、それが高いか小さいかを競っている)

知らず、生れ死ぬる波、いづかたより來りて、いづかたへか去る。
(私にはわからない。波はどこから来て、どこに去っていくのかを)

フムフム。

それ三界は、たゞ心一つなり。
(この世界は、心の持ち方ひとつである)

心もし安からずば、大小波七珍もよしなく、
梵参や金剛斧も望なし。
(心が穏やかでなければ、波の善し悪しはもちろん、
ボンザーやサーフボードも欲しいと思わない)

今さびしきすまひ、ひとまの穴蔵、みづからこれを愛す。
(私は、このひっそりとしたバレルを大切にしている)

おのづから都に出でゝは、
サーファーとなれることをはづといへども
(まれに都会に出ると、
サーファーだと嫌われることもあるが)

かへりてこゝに居る時は、
他の俗塵に着することをあはれぶ。
(都会より帰ってきてここにいるときは、
他人が、
世間の煩わしさに心を傾けることを気の毒に思う)

もし人このいへることをうたがはゞ
魚と鳥との分野を見よ。
(疑うのであれば、魚と鳥を見なさい)

魚は水に飽かず、
魚にあらざればその心をいかでか知らむ
(魚は水に飽きず、
魚でなければ、その気持ちはわからない)

鳥は林をねがふ、
鳥にあらざればその心をしらず。
(鳥は林を好み、
鳥でなければ、その心はわからない)←断定

愉波乗の氣味もまたかくの如し。
(ハッピーサーフィンの気分も、また同じだ)

乗らずしてたれかさとらむ。
(波に乗らないで、誰が理解できよう)

そもそも一期の波影かたぶきて
須弥山のはに近し。
(さて、波が傾き、
セクションも終わりに近づいてきた)

忽に三途のやみにむかはむ時、
何のわざをかかこたむとする。
(終着点に向かうとき、
心は研ぎ澄まされている)
法王を教へ給ふおもむきは、
ことにふれて執心なかれとなり。
(ラカ法王が教える御趣意は、
何ごとにも執着してはならないということだ)

しづかなる曉、
(静かな明け方に)

このことわりを思ひつゞけて、
(この道理を思い続けて)

みづから心に問ひていはく
(自分の心に問うと)

世をのがれて波にまじはるは、
(世間から遠くの波にまぎれこむのは)

心ををさめて波乗道を行はむがためなり。
(心を修行し、波乗り道を極めるためである)

然るを汝が姿はひじりに似て、
滑りはひくくにしめり。
(完全に見えたラインだが、少し低かった)

波かげは入る端も
(どんなに光り輝いた波も)

つらかりきたえぬひかりをみるよしもがな。
(いつかは光を消す日がくるものだ)

パチパチ〜!

すごい!!

いえいえ〜、

鴨長明の方丈記は、

このキャンパーに貼ってあって、

全文読めますので。

じゃあ、

鯖長明(さばのちょうめい)でドラグラ・プロダクションズ入りすれば?

方丈記はだいたいこれだけですし、

もしペンネームを付けるのでしたら、

もはやありふれた鯖よりも、

龍やザリガニの方が自分は好きです。

今回メイクできなかったのは、

波影かたぶきて須弥山のはに近し』

あたりだろうか。

あそこでもう20cm上にラインを上げていたら、

最後のピンチ(Pinch、つまむ)で追いつかれなかった。

内部から具体的に言うと、

サーフボードの下がフォームボール(スープ、泡)ではなく、

波壁だったので、メイクに近づけたはずだ。

記録としては、

途中までは、

どんどん掘れ上がっていく波だったので、

ピンチするとは思えなかった思い込みがあり、

その判断ミスである。

ということで、

次にこのようなバレルがやってきたら、

バレル内でレイルを入れてハイラインにする。

これでメイクできるだろう。

Happy Surfing!!