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【ドラグラ・プロダクションズ特別号】2600年も前の『時』という輪廻『秘蔵宝鑰』_(2020文字)

以前にも書いたけど、

ナターシャ・グリーさんが歌う、

『いつも何度でも』という歌詞に心を強く打たれた。

原曲も調べ尽くした。

語源までも。

いつも何度でも_歌詞の意味を読み解いてみた朝_”Let’s draw out dreams always”_新しく人生をはじめて、いつも何度でも夢を見よう_(4444文字)

友人たちに不幸が重なり、

彼らの気持ちを追うように、

救いを求めて彼女の曲を探すと、

『防人の詩』の、

ナターシャ・グジーさんバージョンを発見した。

おしえてください

この世に生きとし

生けるものの

すべての

いのちに

限りがあるのならば

海は死にますか

山は死にますか

風はどうですか

空もそうですか

おしえてください

(作詞:さだまさし)

1980年(昭和55年)に発売された衝撃的な内容の歌詞。

映画『二百三高地』の主題歌になったこともあり、

楽曲の作者のさださんは、

世間から大きなバッシングを受けることになる。

(戦争肯定だと受け取られた)

しかし、

徐々にこの詞の真意が伝わり、

最後には世間から称えられたドラマがある楽曲。

この歌詞は、

万葉集内の、

「防人歌」のひとつに基づいて作られたという。

(巻十六、3852)

原文です ↓

鯨魚取

海哉死為流

山哉死為流

死許曽

海者潮干而

山者枯為礼

かなを入れたのがこちら ↓

鯨魚取(いさなとり)とは、読み手を「海」に導く枕詞

海や死にする

山や死にする

死ぬれこそ

海は潮干て

山は枯れすれ

現代文はこちら ↓

海は死にますか

山は死にますか

死ぬからこそ

潮は干き

山は枯れるのです

防人(さきもり)とは、

ここ日本で飛鳥時代(664年頃)から平安時代までの期間、

徴兵され、

九州の東シナ海、

日本海に面したエリアに、

唐からの防御として配置された人のことである。

当時は岬守(みさきまもり)、

島守(しままもり)という名で、

遠江以東の東国、

つまり静岡から東の関東地方、

東北の農民がこの兵役となり、

そして3年間以上も無給で、

要求課税も変わらず(本人にも家族にも)、

故郷から遠く離れた、

悲しく辛い無賃の強制労働だったという。

そして彼ら岬守、島守を総括するため

「防(ぼう)」の字を当て、

防人(さきもり)となったとされている。

photo by naki

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『万葉集』には、

この防人や家族たちが詠んだ悲しい歌が載っている。

当時は、

貴族以外の民衆が歌を詠むのは珍しいことだが、

できない言葉をなんとか手繰ってでも歌ったのは、

それほどまでに悲しかったのだろう。

万葉集は、

日本最古の和歌集。

7世紀前半から759年(天平宝字3年)まで、

およそ130年間に渡って集められた和歌が、

4500首以上も収録されている。(全20巻)

万葉集の成立が759年ごろで、

その15年後(774年)に文学と言葉、

書の達人だった空海が誕生しているのは偶然ではないだろう。

彼が、

「完成したての万葉集を読み、どのように影響を受けたのか」

そんな小説が書きたくなった。

海は死にますか 

山は死にますか

春は死にますか 

秋は死にますか

愛は死にますか 

心は死にますか

私の大切な故郷も

みんな

逝ってしまいますか

空海著『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく、831頃)』の

冒頭、

生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く

死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥し

そんな言葉を思いだした。

原文は ↓

掲生生生生暗生始

死死死死冥死終

意味を調べてみた。

いったい何度生まれ変わったら

この世の真理が理解できる(明るく)ようになるのか

そんな嘆きだという。

秘蔵宝鑰は空海晩年の著である。

空海でさえ、

真理に到達できない葛藤があったのだろう。

読書家で知られる空海は、

農民(防人)が詠んだこの歌に出会っていたはずだ。

そして仏(密)教で伝わる輪廻や、

永劫を重ね合わせたのだろうか。

この時代の死生感と、

いまこの令和時代の死生感は何一つ変わってはいない。

失い、そして生まれる。

悲しい。

身が切れるほど悲しいこともある。

さださんは、

そんなことに気づき、

故郷から遠く離れた防人の霊を、

1300年の時を超えて連れてきてこの無念を歌った。

昭和55年(1980)のことだ。

そしていまナターシャが世代を越えて、

人種や国を越えて歌う。

空海の時代には、

釈迦(ゴータマ・シッダッタ)により成立された仏教があり、

「(何もかも)すべて去りゆく」

そんな原則がすでに唱えられていた。

お釈迦さまの言葉なので、

いまから2600年も前のことだ。

その死生感を込めて、

時代を超えて、人は歌い続ける。

海の上に浮き、

波を待つ私の上にこの歌詞が降りかかってきて、

さまざまなことが飛来し、

そして去っていった。

横浪半島に目を移すと、

(青龍寺)奥の院がある山が見え、

その尾根に空海が立っているような気がするのは、

『時』というのも生命と同じようにやってきて、

そして去る。

それを永劫に繰り返すという輪廻の生業(なりわい)なのだろうか。

【これは1980年10月17日。

東大寺大仏殿落慶記念コンサート。

(この放映は翌年1月)

作りたての防人の詩を28歳のさださんが歌っている】

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