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【サーフィン研究所&ドラゴン・グライド・プロダクションズ】ボンザー・システムの歴史_(1639文字)

Bonzer 1973 / 6’5″

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ボンザー。

これはフィン形状のことだと思われがちだが、

実際はサーフボード全体がシステムとなっていて、

今乗り込んでみてもこのデザインが画期的だとわかる。

歴史を見ると、

オクスナード(南カリフォルニア、ベンチュラの南隣)

にキャンベル兄弟がいて、

彼らは*ショートボード・レボリューションに感化され、

ロングボードを半分にし、

フィッシュの原型に乗っていた。

(*’60年後半にオーストラリアで起きたサーフボード革命のこと)

だが、

フィッシュ乗りならわかるが、

オクスナードのような硬い斜面だと、

波サイズが上がると、

高速になりすぎて、

操作不能となることに不満を感じていた。

キャンベル兄弟、

つまりキャンベル・ブラザーズは、

サーフィンの達人である父がいる。

サーフボードが高速になると、

どうにかするのが大変ナノデスと、

父に相談すると、

「センターフィンは失速するが、安定する」

いわゆる両派の剣、

ダブル・エッジ・ソードだと言葉を残した。

兄弟はその助言を元に、

ツインにセンターフィンを付けてみると、

「なんだかんたんでした」

そんなことを感得し、

フィンの総表面積を考えて、

ツインだったサイド・フィンを削りだして小型にした。

この乗り味のすばらしさに感動した兄弟は、

「新型サーフボード・システムの夜明け」

そんな大きなことを予感したのだ。

ボンザーが誕生した瞬間でもあった。

「THE DAWN OF BONZER1969」

そして翌年1971年には、

サイド・フィンが外側に開くようにロービングされ、

コンケイブが入り、

「TMA・1」

(Tycho Magnetic Anomaly)

「完成形ボンザー」が登場した。

これは各地の秘滑豪者たちの話題に上り、

強者がこぞって乗ってかなりの人気を博していたが、

ご存じのようにトライフィンの成功と、

サーフィンのメイン・フィールドがコンテスト・シーンとなるにつれ、

デザインとしては、ほぼ消滅していった。

なぜ衰退したかと言うと、

当時のコンテストシーンのクライテリアは、

ロングボードだけだった世界に突如巻き上がった

ショートボード・レボリューションということを考慮するなら、

「より過激に」

「ダイナミックに」

そんな審査基準であれば、

波の上をエレガントにクールに滑るボンザーは、

例え出たとしてもスコア獲得のためには、

手も足もでなかったのだろう。

シングルフィンも同様にここで廃れていくが、

マーク・リチャーズだけはツインにこだわって、

歴史は1980年代に進む。

ボンザーは、

そんな「失われたもの」であり、

正しく、

高性能のサーフボード・システムだ。

で、

私はその本物に乗りたく、

ずっと探していた。

クリスチャン・フレッチャーが73を持っていたので、

数週間借りたことがあるが、

それを返したくなくて落語を書いたほどである。

(巻末リンクを参照ください)

SNS等で、

ガレージの中まで目が行き届いた世の中になると、

見つかったとしても逸品はやたらと高額だった。

ちなみにオリジナル・ボンザーは、

小さな車を買える値段で売られていた。

数年経って、

やはりどうしても欲しくなったので、

一計を案じ、

博物館に飾られていたオリジナルの複製を前田博士にお願いし、

その1971年度版と、

コンケイブ版である1973を完全複製していただいた。

これがその1973年度版であるが、

当時の巻きは超が付くほど強いことを知った。

少しくらいの高さなら落としても擦り傷が付く程度なほど強い。

よって波が強くなったり、

砂利のショアブレイク系だと出番が増える。

これはタイラー・ウォーレンが所有するボンザー1973だが、

細部に渡って細かな調整がなされていて、

ボードエンドも少し丸いラウンド・スワロウとなっている。

ボンザー話はまだまだ続くのだが、

本日はここまでとします。

【巻末リンク:ボンザー落語】

【落語】赤いボンザー by 鰻楽_(3230文字)

【落語ブーム到来編】

【naki’sコラム】vol.65 落語『夢の中の酒』_(3838文字)

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