昨日ここに書いたことだが、
あやかしというか危険な日があって、
その〆日にタキビ神が、
煩悩と真理の両方を燃やしてくれた。
7’ish Single Fin
Ryan Hand Shaped
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この分厚く、
重いシングルフィンで、
滑走の重さと速さみたいなものを知った。
振り子の力の感覚と書くべきだろうか。
湘南鎌倉で摂政瀧朗は、
トロピカル松村(トロちゃん)親子といたのだそうで、
しかもオリジナルのDrifta(1979年以降)を持っている。
(ボードはトロちゃんから直接情報。
ちなみ彼はお正月編にも登場しています。巻末に)
「ホットバタードですね」
瀧朗がそう言うので、
ホットバタードなら沼さんですよと言うと、
「サーファーズ岬の沼さんピークですか」
そんな会話になった。
さすが瀧朗は詳しい。
昭和50年代には、
ホットバタードが七里ヶ浜にあり、
沼さんが店長をされていた。
当時サーフショップの店長は思想家であるか、
職人、
プロサーファー、
または自由人でなくてはならなかった。
そんな長(おさ)から、
チーム員はさまざまなことを教わることもできた。
もちろん体育会系のもあった。
沼さんたちは、
考え方がリベラルでかっこよかった。
そんな遠き記憶がある。
ちょうど当時ホットバタードのチーム員だった蟹澤さんが島に来られている。
「コロナで長期滞在だよ〜」
そうおっしゃっていたが、
毎日サーフィンができることについて、
どう思われるか今度聞いてみよう。
トロちゃんのボードがすごすぎて、
すっかりと話がそれた。
とにかくトロちゃんは、
着眼させることに長けていて、
それを見極めたらとことん掘り下げつつ、
正義のヒーローみたいな瞳をしている。
トロちゃんの瞳は、
ひとり息子のしょたさん @shotasan_
にも受け継がれている。
これは昨年の夏画像だが、
やけにみずみずしく映っているのがいい。
↑ 7年前のトロちゃんにありがとう。
タウカンTいいね〜。
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これは2年前くらいの話だが、
トロちゃんと東京から千葉へ、
東金九十九里有料道路から海に向かっているとき、
大沼田あたりの景色で彼はニール・ヤングを浮かべたのだ。
これは見事だと、
ニール・ヤングの孤独の旅路だと言いつつ、
視界を潤したことを思いだした。
DJでもあるので、
ボニーMでありつつ、
A面で恋をして、
クリストファー・クロスのセイリングでもあった。
DJとして、
私の初ディーゼル個展『マンライ』でも盤を回してくれた。
これが出会いだったような気もする。
余談だが、
全員賛成でドラグラ入りしたという、
稀れで優れたケースの過去を持つ。
(他には聖式カルちゃん)
稲村ヶ崎サンライズ・シャックのメグちゃんに、
MCTオイル入りのコーヒーをいただいた。
すごいのが、
このコーヒーを飲んでからサーフィンに行くと、
空腹感を感じづらく、
そして良質のカフェインのおかげで体はハツラツである。
不思議だが、
こんな時代なのだと感じいった。
風が悪いというのは、
サーファーの観点で、
魚はこんなコンディションをどう思うのか?
そんなことを思っていたら、
九州の小麦を使ったベーグルが焼けた。
「cafeわくわく」のフルーツ・クリームチーズをたっぷりと塗っていただきました。
こんなベーグル屋さんが島にあったらいいのに…。
(パニーニの名店が北部あると、本日伝え聞いた)
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【巻末リンク:トロちゃん登場週より】
【サーフィン研究所&新春3部作】タキビ神個展の写真選評_Hair California The 10th Anniversary_ハッピーサーフィン_(2539文字)
Happy Surfing and Happy Lifestyle!!
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