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【サーフィン研究所】敬うのが先か、楽しむのが先か_(1332文字)

@エンスーラボ

(詳しくは巻末にリンクがございます)

The Cosmos Surfboards

Bonzer 1973

6’5″ x 20-7/8″ x 2-11/16″

(195.5cmx53cmX6.8cm)

.

https://president.jp/articles/-/55484

こんな記事を一般紙で見つけた。

見出しだけだと真意というか、

意味がわかりづらい。

内容は、

「子どもたちにより野球を楽しんでもらえるように」

というものだ。

サーフィンでも同じことがある。

サーフボードに話しかける。

海に向かってお辞儀する。

一切それを否定する気はないけど、

鎌倉に住む友人Sさんは、

「あいさつするのならゴミを持っていって」

そんな表現をしている。

海のそばに住むSさんは、

この「あいさつの人」たちをよく見かけるという。

あいさつの人たちは、

海に感謝していることはわかるのだけど、

上記したゴミはもちろん、

護岸等反対の際にも知らんふりだったという。

どうやらその人たちと、

この「あいさつの人」が重なったので、

そんな発言となったようだ。

子どもが好きなことを始める。

そしてそれらの団体に入会する。

親としては、

お金も時間もかかることだけど、

この入会によって、

子どもに礼儀正しい人になってもらいたく、

その後押しをしているように見える。

高知新聞より

.

野球でも空手でも、

「The決定事項」というような冠詞がついてくるようなことに、

敬え、

挨拶をしろと幼少時から教わってきた。

道具を大切にと挨拶もしてきた。

もしエラーすると、

「グローブの神さまに謝りなさい!」

と叱られたこともあるし、

竹刀を出しっぱなしにしたときは、

竹刀に大きな声で謝った。

いや、

謝らせられた。

サーフィンに話を戻そう。

サーフボードは、

波がすごくなればなるほど、

自身の命を託すものでもある。

そんな存在ならば、

ボードには神が宿ってほしくなる。

いや、

神はいると感じる。

このことが、

神道の概要ではあるが、

説明しろと言われても長くなるし、

「全てに命が宿る」

というのは、

その下地がないと理解されづらいものだ。

しかも宗教が違う外国人に、

「全てのサーフボードには神が宿っているんですよ〜」

そう言っても、

「はいはい、神という名前ですね」

一切理解されないだろう。

ましてや、

子どもたちに大人がその謎系の

「しつけ」をたたき込んだとしても、

それは礼儀作法でもなんでもなく、

「謎な行動」でしかない。

将来意味がないし、

本来の意味を失っている。

新しい世代は、

これまでのDNAのインプリントがされて、

どんどん賢くなっていることがわかっている。

その優れた子たちに向かって、

「道具は神さまですよ」と言っても、

表面上だけでしかわからないのではないだろうか。

とにかく、

何ごとも楽しさが先で、

それをしっかりと突き詰めていって、

「道具は神だ」とか、

「そうあって欲しい」

と祈るようになれたらいいのに。

そんなことを感じたのでここに書いてみた。

【巻末リンク:冒頭のエンスーラボのこと】

【サーフィン研究所:特大号】オンリー・ハカセ・ノウズ・ザ・フィーリングのコスモス・サーフボード_(1792文字)

 

【巻末リンク*2:ワイメア・エディ2023】

【サーフィン研究所】アメ横のフィルムカメラとボンザーの類似点_逸脱=リラックスするべくエディ・アイカウ_(1278文字)

【巻末リンク*3:ワイメア】

ワイメア・インビテーショナル『エディ・アイカウ』最終章_(2257文字)

 

Happy Surfing and  Happy Lifestyles!!