昨日ここでご紹介したコスモス・サーフボードの、
スティング広告が好評で、
各地のエンスーからいくつかのメッセージをいただいた。
Sting 1973
Ben Aipa / Hiroyuki Maeda 6’2” x 21” x 2-1/2″
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これはその使用写真で、
体勢を低くしつつスティングに乗る私だ。
「あんな波に乗れるんですね」
そう聞こえてきたが、
スティング誕生地はハワイであるので、
それは当然のことなのだと身を持ってわかった。
Photo by @tunatunatantei
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↑これは昨日。
マグやんが撮ってくれたタマサキ北。
Photo by @supertakibishiyasu
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これもほぼ同場所。
タキビ神が7時半に撮ってくれたものだ。
北西風、
2m弱の北北東うねりが6秒前後のタマサキは、
なかなかのブレイクを見せている。
あいにく長潮で、
本当の干潮はないのだが正午ごろの波が一番良いかもしれない。
だが11時ごろから北風が強くなる予報だ。
【お知らせ】
ドラグラ法王と私が、
渾身の思いでお勧めするのがこの『チーチー・フェス2024』。
中滝アートビレッジで、
9日の土曜日から翌10日まで終日開催されるグレイトフルデッド関係のイベントだ。
【追記】
法王は、
リアル側の業務遂行のため不参加になりました。
あらかじめご了承ください🫧🫧🙏🫧🫧
私もナッキーも、
マグやんにタキビ神、
華厳さんとカズくんにオン父さまにジローが参加し、
ポパイ・ケイスケチーム、
タツジンにシソンズ、
ロレックス松本さんもSSさんも来られると聞いた。
上の画像をクリックしていただくとわかるのだが、
前売り券がお得です。
会場の中滝アートビレッジはNAKISURFから12km。
ということで、
NAKISURFは土曜日の早朝からお昼くらいまで営業し、
翌日曜日は午後からの営業を予定しています〜。
【新編】
総計13000字となるキャッチサーフの歴史を昨年書き上げた。
キャッチサーフの日本総代理店であるキヨモさんが数々のメディアで展開してくれたが、
独占期間が過ぎたので、
キャッチサーフを創生から知るNAKISURFの読者に公開します。
全15回くらい、
毎週水曜日にこうして付録みたいに掲載します。
どうぞよろしくお願いします。
ちょうど大統領選だ。
予測としては、
どちらが当選しても円安傾向だそうで、
強いアメリカのために他国が犠牲になるという勢力図。
だが、
輸出業は逆に恩恵を受けるという最近の国際情勢だ。
1.CATCH SURF創世記
キャッチサーフの歴史は、
ジョージ・アルゼンテ(George Arzente)の歴史でもある。
ジョージは、
ニューヨークの不動産開発業でミリオネア(大富豪)となった。
彼は、およそ1年間の休暇を取り、
幼少のころ住んでいた南カリフォルニアのラグナビーチに向かい、
大好きなサーフィン漬けの日々を送っていた。
さて、
ラグナビーチのオークストリートというのは、
硬派な波質で、
そこに集うサーファーたちも本物が多かった。
ハンス・ヘーガンやジョン・ローズたちはいつもラグナビーチにいた。
ジョージはオーク・ストリートのメインブレイクで、
数ヶ月間サーフィンに集中していると、
あることに気づいた。
それは、
この世の中のサーフボードには、
プロフェッショナル用、
または初級者用のヨタボードしかないとうことだ。
ヨタボードとは、
ヨタヨタとかフニャフニャという不全なサーフボードのことだ。
その不全なるソフトボードに目を入れてみると、
まともな波に乗るどころか、
初級者ですらむずかしい性能の代物だった。
ボディボードを見ると、
こちらは完全無欠というか、
ソフトコア素材がこの世界を司っていた。
この素材を使ってサーフボードを作ってみては?
ジョージはピンと来た。
「プロでも楽しく、安全にサーフできるサーフボードを作りたい」
すぐにジョージは、
当時オーシャンサイドにいたトム・モーリーを訪ね、
サーフボードの未来について熱く語ったあと、
二人は
「キャッチ・サーフボード」という名前を掲げてタッグを組んだ。
トム・モーリーは、
『モーリー・ブギー』で知られる世界で一番売れたボディボードの創始者であり、
ふたりの出会いは2007年のことだ。
ジョージは、
サンクレメンテの92673サーフ業界エリアであるアマネセラ通りの、
アーネットとポストオフィスの角に曲がったネゴシオに工場兼事務所&倉庫を借り、
トムの先導で製品が作られた。
ちなみにこのエリアには、
サーフィング・マガジン誌、
サーファーズ・ジャーナル、
アストロデッキ、
そしてレインボー・サンダルがあった。
トムとジョージのタッグは
——今も同じように——生産的で、
2008年には、
現在の国際マネジャーであるジョエル・マナラスタスをモーリー・ブギー社よりFAで獲得し、
2009年の夏、
初期ボードが完成した。
スティンガー・スタイルのアフターバーナー・レイル、
クアッドフィンのブラックボックスが埋め込まれていった。
これがキャッチサーフの記念すべきファーストモデル
『Y-クアッド』だ。
(5’0”、5’6”、6’0”、6’6”)
翌年には、
Y-クアッドを薄くしたモデル『ザ・ワン』が登場し、
そして『ザ・スーパー・ワン』がドロップされるころになると、
カリフォルニア・サーフィン界の話題はキャッチサーフのことばかりになった。
このときジョージは、
「海水浴場でサーフする」というイベント仕掛人となると決意したという。
アメリカの指定海水浴場は、
春の終わりから秋までかけて、
ビーチの一定区間を海水浴場エリアとして区切りサーフィン禁止とする。
ただ柔らかい材質で、
フィン(スケッグ)もなく、
全長が55インチ以内であれば遊泳可能なので、
そこはボディボード天国だった。
ジョージは、
その規制にフィットする海水浴場専用ボードを作った。
これが『ビーター(Beater)』だ。
瞬く間にそのビーター人気は全米に広まり、
クールな1980年代のビジュアルと共に、
子どもたちの、
そして海水浴場でサーフするシュレッダーたちのツールとなっていった。
(2へ続く)
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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