昨日の回想の続編。
村上春樹さんも安西水丸さんとの共著
『村上朝日堂』で、
“このコラムの通しタイトルを
「前回のつづき」にすればよかった”
と書いていたのを思い出した。
Photo by Takiro Sanzo
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ハービー・フレッチャー。
フレッチャー家のはじまりであるので、
それと重ねたのか、
ドラグラ世界では始皇帝という位置づけだ。
彼を1980年代から知るが、
アートがお好きで、
たいていはスタジオというか、
倉庫で大判を描いていた記憶が私にはある。
結局ジュリアン・シュナベルたちの目に止まり、
近代アート界にデビューされたお人である。
Herbie at Backdoor Hawaii
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ちなみにハービーは不良魂を持つ、
ハードコアなサーファーでもあり、
これらすべてのボードは、
激烈波を通過、
またはその用意があるものだ。
Herbie Fletcher 1964
Pipeline Side Slip Boogie
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ハービー・フレッチャーは、
自身のサーフショップと、
サーフボード工場をダナポイントのPCHと、
ゴールデン・ランターン付近で主宰していた。
その時に発明したアストロデッキが当たり、
92673ポスト・オフィスの上の、
*ビジネス・コンプレックスに、
1万スクエア・フィート以上の倉庫兼事務所をかまえるまでになった。
(*Amanecer Industrial Complex。10,000sq. ft.= 929平方メートル)
これはそのアストロデッキ時代の壁を思い出す。
またそれは伝説シェイパーのサーフボードが、
見栄や虚勢心のために邸宅に飾られている*アンチテーゼにも映った。
(*アンチテーゼ:ある理論や主張を否定する主張。antithesis)
これはジェイ・アダムスだ。
彼の晩年に、
私は彼と知り合った。
ロッキーショアという岩バリバリのところでサーフし、
「おい、やたらと楽しいな。これから家に遊びに来い」
そんな時間を過ごした。
ジェイは、
ビームスの加藤さんあたりのヒーローであり、
‘70年代にヴェニスからおきた、
スケートボード・ムーブメントというものを点火させた人だ。
さて、マンダラ・コーヒー。
私的にコーヒーにはご恩があり、
同時にサーフウェーブなるオルタナティブが登場した。
私たちはコーヒー研究所を作って、
その3年後にマンダラ・コーヒーが登場した。
私が小学校1年生のとき、
人生初のマクドナルドのバーガーとフライ、
そしてバニラシェイクを体験し、
そのまま街の大型書店で手に取った本がこのピーナッツ・ブックスだ。
TSURU COMIC(鶴書房版)とあったので、
サブタイトルに
「Good Ol’ Charlie Brown」とついていただろうか。
そのときに英語に触れたおかげで、
米国への縁ができたのかもしれない。
内容は、
チャールズ・M・シュルツならではの、
シニカルかつ世間への風刺があり、
カリフォルニア州ソノマ郡あたりの子どもたちの日常があった。
劇中のハロウィンやイースターというまだ見ぬ行事に首をひねり、
そして、
やたらと個性の強いキャラクターたちが繰り広げる内容に心を打った。
雨空を見ながらそんなことを思い出していた。
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【巻末リンク:1980年代】
【もうすぐ終了の特大号】私の波乗りの歴史_第15編_メキシコ、ジョー・マクナリティとハービー・フレッチャー_(3444文字)
【巻末リンク*2:ハービーの教え】
【サーフ歴史編】ハービー・フレッチャーのミッドレングス、またはロングボードの勧め_1965年のパイプライン動画_(1839文字)
【巻末リンク*3:スヌーピーを通したフィルターみたいなもの】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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