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naki's blog

【サーフィン研究所】フレッチャーズと、ピーナッツ・ブックスの回想_(1413文字)

昨日の回想の続編。

村上春樹さんも安西水丸さんとの共著

『村上朝日堂』で、

“このコラムの通しタイトルを

「前回のつづき」にすればよかった”

と書いていたのを思い出した。

Photo by Takiro Sanzo

.

ハービー・フレッチャー。

フレッチャー家のはじまりであるので、

それと重ねたのか、

ドラグラ世界では始皇帝という位置づけだ。

彼を1980年代から知るが、

アートがお好きで、

たいていはスタジオというか、

倉庫で大判を描いていた記憶が私にはある。

結局ジュリアン・シュナベルたちの目に止まり、

近代アート界にデビューされたお人である。

Herbie at Backdoor Hawaii

.

ちなみにハービーは不良魂を持つ、

ハードコアなサーファーでもあり、

これらすべてのボードは、

激烈波を通過、

またはその用意があるものだ。

Herbie_Fletcher_Pipeline

Herbie Fletcher 1964

Pipeline Side Slip Boogie

.

ハービー・フレッチャーは、

自身のサーフショップと、

サーフボード工場をダナポイントのPCHと、

ゴールデン・ランターン付近で主宰していた。

 

その時に発明したアストロデッキが当たり、

92673ポスト・オフィスの上の、

*ビジネス・コンプレックスに、

1万スクエア・フィート以上の倉庫兼事務所をかまえるまでになった。

(*Amanecer Industrial Complex。10,000sq. ft.= 929平方メートル)

これはそのアストロデッキ時代の壁を思い出す。

またそれは伝説シェイパーのサーフボードが、

見栄や虚勢心のために邸宅に飾られている*アンチテーゼにも映った。

(*アンチテーゼ:ある理論や主張を否定する主張。antithesis)

これはジェイ・アダムスだ。

彼の晩年に、

私は彼と知り合った。

ロッキーショアという岩バリバリのところでサーフし、

「おい、やたらと楽しいな。これから家に遊びに来い」

そんな時間を過ごした。

ジェイは、

ビームスの加藤さんあたりのヒーローであり、

‘70年代にヴェニスからおきた、

スケートボード・ムーブメントというものを点火させた人だ。

さて、マンダラ・コーヒー。

私的にコーヒーにはご恩があり、

同時にサーフウェーブなるオルタナティブが登場した。

私たちはコーヒー研究所を作って、

その3年後にマンダラ・コーヒーが登場した。

私が小学校1年生のとき、

人生初のマクドナルドのバーガーとフライ、

そしてバニラシェイクを体験し、

そのまま街の大型書店で手に取った本がこのピーナッツ・ブックスだ。

TSURU COMIC(鶴書房版)とあったので、

サブタイトルに

「Good Ol’ Charlie Brown」とついていただろうか。

そのときに英語に触れたおかげで、

米国への縁ができたのかもしれない。

内容は、

チャールズ・M・シュルツならではの、

シニカルかつ世間への風刺があり、

カリフォルニア州ソノマ郡あたりの子どもたちの日常があった。

劇中のハロウィンやイースターというまだ見ぬ行事に首をひねり、

そして、

やたらと個性の強いキャラクターたちが繰り広げる内容に心を打った。

雨空を見ながらそんなことを思い出していた。

【巻末リンク:1980年代】

【もうすぐ終了の特大号】私の波乗りの歴史_第15編_メキシコ、ジョー・マクナリティとハービー・フレッチャー_(3444文字)

【巻末リンク*2:ハービーの教え】

【サーフ歴史編】ハービー・フレッチャーのミッドレングス、またはロングボードの勧め_1965年のパイプライン動画_(1839文字)

【巻末リンク*3:スヌーピーを通したフィルターみたいなもの】

梅と霜_スヌーピーとバリー・マッギーの歴史と背景、そして思想_(1926文字)

Happy Surfing and  Happy Lifestyles!!