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【サーフィン研究所本気編】「サーファー」とは?_ミゲルたちの土佐トリップ_(2197文字)

金剛福寺の東浜は、

観音菩薩が降り立つ聖地として、

奇跡の白砂海岸が拡がっている。

ミゲルのお母さんにサーフィンを教え、

講師ふたりと記念撮影をした。

さて、

今日はずっと書いてみたかったことがある。

サーファーとは、

「サーフィンをする人」ということです。

意訳すると、

「波乗り愛好家」という意味になるが、

私たちはだれもそういう言葉を使わない。

サーファーと表記する理由は、

サーフィンはとてもグローバルなものだから。

Miguel Haber on

Cosmos Surfboards TheOne 6’4”

Cosmos Original Twin + Twinzer

.

Catch Surf® x Nakisurf Original Skipper Fish 6’0″

Cosmos Original Twin Fin

.

地球上にある波という波は、

すべて同じ原理であり、

そしてなによりも森羅万象から成り立っています。

しかし今日(こんにち)、

日本でサーフィンという言葉は、

残念ながら非常に狭いものになっています。

Catch Surf® x Nakisurf Original Skipper Fish 6’0″

Cosmos Original Twin Fin

.

たとえば、

コンテストでの地位や連盟への関係度、

また地元至上主義によっての優越だったり、

よくあるテクニック主義派の世界観、

メディア主導のサーフボード。

それらを基に正論風な論理を背に、

歌本のコード進行のようなものが、

複雑にからまりあっている。

さらには、

情報過多によって、

YouTubeだったり、

そのリール動画によって、

サーフィンという現代コロシアムの窓を覗(のぞ)いてしまう。

サーファーたちは、

その抑制というか、

遊び方説明書があり、

のみならず、

自然界の摂理に目を向けるよりも、

サーフボードの体積を表すリッター数や、

HOW TOでおぼえたトップターンばかりに着目するので、

自身の感覚を格段に鈍化させている。

よって、

本来の波乗りの奥行きがなかなか出にくくなり、

狭い視野となってしまった。

波に乗る、

海で遊ぶという原点のすばらしさ、

そして広大さと気づきは、

水平線の向こう側に行ってしまった。

すべてがアイロニーなのですよ。
リラックスしてご自分を取り戻しましょう。

そんなことを伝えたいと思って、

ここにサーファーと記して原点回帰しました。

最初のサーファーは、

ハワイ王朝時代に水辺で木片で遊んだ人たちであり、

ようやく近代となって、

ワイキキからデューク・カハナモクが登場し、

滑走のすばらしさを私たちに伝えてくれた。

巧みに波に乗るというかっこよさは文化となり、

達人たちは各地で信奉を集めた。

その信仰システムは、

デビッド・ヌイーヴァ時代にロックンロールが爛熟し、

そのロックンロールとサーフィンを融合させ、

モダン・マニューバーとして完結させたのがトム・カレンだ。

それをモメンタム世代(ケリー・スレーターたち)が、

ターンの円弧を空中に求め始めた。

けれど、

進みきった近代サーフィンに対し、

警鐘を打ち鳴らしたものがいる。

ジョエル・チューダーだった。

彼はログ(丸太)と呼ばれる重く、

大きなサーフボードを使って、

デビッド・ヌイーヴァ時代の美しさと、

斬れ味に目を向けて半世紀ほどマインドを回帰させた。

これをダクトテープ・ルネッサンスと言うのだが、

人気の出た結果、

近代サーフィンを伝える団体WSLが吸収した。

だが、

ジョエルが伝えたかった「静の美しさ=禅マインド」はうすれ、

さらには協奏を競争と誤訳した。

デューク・カハナモクは博愛主義だ。

その望郷によって、

ハッピーサーフィンがリバイバルしている。

コンテストを意識すると、

競争主義になるはずだ。

そしてハッピーを意識すると協奏となり、

さらにはしみじみと森羅万象を感じることができる。

そういうこともあって、

ハッピーサーフィンは、

アートに関して深く寄与した。

ただデュークのハッピーサーフ主義が、

手前に見えすぎたのか、

サーフィンのもつ、

流体の摂理&刹那という教義が難しすぎたためか、

本来のカルチャー、

またはカウンターカルチャーが交流できずに対立している。

または日本独自の「ロハス」という言葉を用いて、

サーフィンを

「ひたすら楽なもの」

だととらえる人も多くいる。

サーフボードを置く台を配置し、

ボードを楽に持つバーや、

海から上がると、

エンジンをかけて電気式シャワーを浴び、

ボードも洗って、

拭いて、

磨いて、

ケースに入れ、

そのあいだ波や波乗りは一切見ずに、

除潮作業に専念し、

さらにはそのブレイク周辺の商いには目もくれず、

よってサポートする気もなく、

さっと帰ってしまうサーファーが増えた。

これはデュークのふところの広さというか、

超訳みたいな解釈をして、

波に乗る人が増えたのかもしれない。

まあそんなことを思ったので、

ここにミゲルという奇跡の人との、

土佐旅の画像とともに書いてみた。

どうぞどうぞ、

あなたにも豊かで、

神仏を象徴できるようなハッピーサーフィンがやってきますように。

【巻末リンク:デュークお大師さまオンオン】

【サーフィン研究所渾身号】デューク・カハナモク誕生日_1950年代サーフボードの歴史_高知県室戸市とガソリン価格_(1693文字)

【巻末リンク*2:真実とは?】

【サーフィン研究所・特大渾身号】コスモス・サーフボード『TheOne』の真実_(3258文字)

【巻末リンク*3:モダンサーファーの教養として大切な歴史】

【サーフィン研究所特大号:歴史編】コスモス・サーフボード・デューク・カハナモクとポール・ストラウチの関係_(2089文字)

Happy Surfing and Happy Lifestyles!!