
Catch Surf ®ODYSEA x Glassy and Mellow Special 10’0(305cm)@glassy_and_mellow @catchsurf
いまだ波が小さい。
水温18度、
前日より1度上がったので、
とても温かく感じる。
台風2号からの南東うねりが入ってくる。
明日からですと、
ポパイ・ケイスケが言っていたが、
その南東うねりはいまその先端が届きはじめたようだ。
私はドラゴン・グライド・プロダクションズという派に属していて、
その広報部にいる。
およそほぼドラグラ、
またはDGPと表記されているが、
正式名称は上の通りだ。
ドラグラには摂政がいて、
これは指導者(この場合ラカ法王)の代わりに政務を補佐、
または執り行う役職である。
その摂政はタキローで、
彼は対抗文化の発展、
*冠位三十八階などの制度改革を行っている。
*出身や家柄に関係なく、称賛を与えるというもの。
ドラグラは何を指導しているのかというと、
ハッピー・サーフィンで、
古来から続く伝統的なものであるが、
昨今の競技発展によって薄らいできたことなので、
私を含めた多くが原点が失われると危惧している。
歴史を追うと、
近代サーフィンの父としてデューク・カハナモクがいて、
そして温厚で半魚人のように泳げるエディ・アイカウときて、
現在はハービー・フレッチャーとなった。
「あのですね。
ナット・ヤングは攻撃的な性格で、
よってトップにはなれなかったようです」
タキビ神はそう断言していた。
*タキビ神は、
サーフィンの源始、
古代から近現代にいたる歴史を概観できる常設展をいすみ市に持つ。
そのタキローはフレッチャー家の養子に近い役割を演じている。
タキローの元々は、
ドラグラ遣唐使(留学生)としてカリフォルニアやハワイにいて、
前述したハービー・フレッチャーの第一子であるクリスチャンと仲良くなって、
サンクレメンテのイチビリなどに出没していた。
で、
そのクリスチャンとのサーフトリップ時、
なんと遭難して無人島に閉じ込められたのをきっかけに兄弟に近い親友となり、
その後、
バリ・ロンボック島西端にあるデザート岬での託宣時に、
フレッチャー家に称賛と繁栄をもたらすとの伝承が現れた。

Photo by Takiro
その伝承でありデンショーであるタキローは、
いま実家サンクレメンテのサイプレス・ヒルズあたりに里帰りしている。
上画像左からハービー、
ショーン・トムソン、
クリスチャン、
ネイザン、
レーザーとジェットソン。

Photo by Takiro
そしてこちらはパームスプリングスにあるウェーブプールでのイベント。
クリスチャンとネイザンは、
ブルース・アイアンズやガーラックたちと一緒にいた。
ガーラックはガー(Gerr)と表記する私たち世代のアイドルだ。
ガーとは、
1980年代に部原の丸井でお会いして旋律を受けたほどのスタイルサーファーだ。
あの彼の息子がこんなアジアンチックだとは、
あのときは想像すらできなかった。
タキロー、
ドラグラ現地からの報告をありがとう!
こちらは出発前の土佐は横浪半島。
ここ青龍寺は、
空海が灌頂到達を感謝し、
恵果和尚を偲びつつ、
嵯峨天皇からの勅額によって開創したと伝えられている。
仏教系の歴史に深入りしたけど、
そんな由緒正しき地で手を合わせ、
これまでのいろいろに感謝した。
□
【巻末リンク:ハービー来日編withタキロー:その38】
【巻末リンク*2:託宣のゆくえとは:歴史編】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
◎