初詣に行ってきた。
これから空海のことを書くのだけど、
あちらはお寺でこちらは神社なので、
齟齬(そご)がある気がしてならない。

空海も宗教自由化の唐を通過しているので、
好しとしようと考えている。

集中してお詣りしたいので、
人がいなくなるときを狙っていた。
なので、
年明けの混雑はNGで、
結果的にいつものことだがこんなに時間がかかった。

けれど、
「人と違うように」
そう生きているので、
この地元神社への初詣もありなのだと思う。
(屋台とかはもうなかったけど)

日が長くなり、
五時を過ぎてもそらはまだオレンジだ。
(撮ったのは5時13分)
こんな景色を見ると、
トロちゃんではないがニール・ヤングが思い浮かび、
彼の素朴で哀愁漂うメロディが浮かぶのだった。

昨日はマリエルで98と94に乗った。
ターくんとかっちゃん夫妻とでパドルアウトすると、
カネがいて、
難易度が高い波質だったけど少人数で楽しくできた。

セッション終盤には、
タロジロの父ちゃん母ちゃんもパドルアウトしてきて、
いまのタロジロのキャッチアップもできた。

南西うねりは、
なかなかのトリッキーで、
いつものせり上げピークにはならず、
シフトして流れてしまうが、
時折いつものマリエル風の波が来るのが痛快だった。

さきほど書いたようにまた空海のことを考えていた。
注意:(ここからは、
空海や密教に興味がなければつまらないので、
読むのをやめたほうがいいと思います)
804年の暮れに、
空海は遣唐使の一員として長安に入った。

西暦804年は、
日本では延暦23年のことであり、
いまから1222年も前のことだ。

当時の長安は100万人都市であり、
その以前にさかのぼると、
古代ローマ帝国が100万人都市だとあり、
その数字はいまとなると懐疑的であるほど、
100万人という数字は、
疫病も含めて一都市ではありえなかったという。

とにかく唐はすべての宗教を受け入れた奇特な都市だったとある。
しかも100万人ともなれば、
当時の世界の中心地は唐だったのだろうか。

その唐で空海は、
ゾロアスター教、
マニ教、
景教(キリスト教)に触れ、
さらにはインド僧のW三蔵からサンスクリット語とインド哲学を学んだとあった。

「(明治時代以前に)インド人から
直接サンスクリット語を学んだ日本人は唯一空海だけ」
高野山大学出身の宮坂宥洪さんがそう書いていた。

そんなとき空海は、
大唐帝国の国師たる恵果に偶然に出会い、
のみならず潅頂(かんじょう=免許皆伝)を授けられた。

これを司馬遼太郎さんは、
「正直ではない」としているが、
前述した宮坂宥洪さんはそうではなく、
恵果和尚は、
空海にブッダの相を見たのだと断定していた。

でないと、
当時の唐で宗教ナンバーワンの青龍寺のトップが、
千人もの弟子をさしおいて、
異国からの若者に全てを差し出すわけがない。
(空海は真言八祖の正式後継者だ)

インド密教の正嫡「遍照金剛」として、
正式に空海に託されたのだ。

こんな日本人はおらず、
ありえないので、
どこでスーパーサイヤ人だか、
ジェダイ化したのかを調べていくと、
空海の遣唐使以前の室戸岬に行き着いた。

室戸岬東面の御厨人窟(みくろど)で、
「明星が口に飛び込んできた」
土左ノ室生門ノ崎ニ寂暫ス。
心ニ観ズルニ、
明星口ニ入リ、
虚空蔵光明照シ来リテ、
菩薩ノ威ヲ顕シ、
仏法ノ無二ヲ現ズ
御遺告より
そういくつかの実績集に空海自身がしたためており、
どうやら室戸岬でなにかあった気配が確かにあった。

で、
私はこの洞窟に行き、
何かを得ようとしていると、
河合さんがここでゲストハウスを開くといい、
それから10年弱をかけて、
かけがえのない土佐の友人たちを得たのだ。

それとはあまり関係があるかないかがわからないけど、
室戸河合さんの渾身が「うまいもの大賞」を受賞し、
クレアの「贈りものバイブル号」に高知代表として掲載されたのだ。

空海のお菓子だと飛躍させて、
キントキとバターをほおばると、
青龍寺奥の院の銅鑼が鳴ったような気になった。
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【巻末リンク:うまいもの大賞】
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【巻末リンク*2:ラカ渡海ですぞ】
【巻末リンク*3:こちらは正統空海編】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!
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