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naki's blog

   蒼く深き海ーー徳岡大之、ウオーターマンの毎日

蒼く深き海

海の美(かい)しゃよ 心の美しゃよ 昔の美しゃ今も美しゃ 浮世の美しゃよ

と好きな詩からインスピレーションを受けて書いてみた。

美しいこころを受けたい、やさしく暖かき時間を過ごしたくて成田まで飛び、そして羽田から国内線で一気に南端の島に行き、そこからさらに南に向けた船に乗った。

やがて東洋のガラパゴスと呼ばれる妖気漂う島が見えてきた。

海沿いに集落がいくつか見え、その後ろには緑をたっぷりと蓄えた山がそびえていた。

港に着くと、徳ちゃんこと徳岡大之(とくおかもとゆき)が出迎えてくれた。

がっしりとした体型、そして射るような目線。この島に住み、ダイビング、カイトサーフィンなどのガイドで生計を立てている。

それぞれの分野でメキシコのラパス、ニューカレドニア、マウイ、カウアイを通過し、この島に落ち着いた。

彼とは「ちゅら島クロッシング」という人力で南西諸島を横断するプロジェクトで知り合い、その最終目的地だった彼の住む島が気に入ってしまった。

ここは珊瑚礁が沖に拡がり、色とりどりの花が通年咲き、人はやさしく、たっぷりの笑顔で日々暮らしている。

冒頭での詩のように琉球(沖縄)が燃やした熱き炎がここにはまだ鎮火せずにある。

ゆったりと島を巡ると、島唄が表現した鳳仙花、涼しい風、百合、赤ゆら(デイゴの花)、そして冠鷲(かんむりわし)を見て、本当のこころの美しゃ(=美しいのは)とはこういうことなんだなあ、と感じた。

そしてこれをいつかどこかで体験したことがあるような既視感覚(デジャヴ)の核に触れたようで、脳が一瞬びくりとなった。

それはまるで夢の続きのようでもあり、体がふつふつと興奮してきた。

海沿いにあるという温泉に行く。ここはシダ類のジャングルに囲まれた日本最南端の露天温泉で、透明な湯で満たされていた。

意識と精神を湯に溶かし、冷泉を飲むと、細胞がウチナー(沖縄、琉球)版に入れ替わっていくような錯覚に陥った。

やがてそらは燃え、北極星が現れた。夜は闇となり、俺は海岸洞窟に行き、群星を見上げながら島酒(泡盛)を飲み、さまざまなことを想い、浮世(うちゆ=この世)と幻想の狭間をさ迷いながら夢うつつと睡りについた。

早朝が満潮なので夜明け前に起きる。この島では高潮位時のみ波乗りができる。

季節風が回り込むビーナス、岬に沿って崩れていくブラックパールポイント、沖の岩の横でバレルとなるミナゴロシ。

しかし、この日は見えるうねりがあまりにも小さいので、予定を変更してフリーダイビングに行くこととなった。

フリーダイビングとはあまり聞かない言葉だが、要は素潜り、閉息潜水のこと。またはアプネアとも呼ぶ。

遊びの場合はスキンダイビングと区分けしているが、徳岡がしているのは「呼吸を止め、ウエイト、フィンを付けて垂直に何メートル潜ることができるか」という『コンスタントウェイトフィン有』というアプネアだ。

彼の船で港を離れ、沖の無人島近くに係留し、フィン(足ヒレ)、マスク、ウエイトを付けて青き海に入る。

最初は浅い場所でウオーミングアップしている徳岡だが、その場所でさえ水深10mはあった。

「意識を失ってしまうこと(ブラックアウト)が怖いので、必ずエキスパート同士がチームを組んで練習しています」ということ。

「今日は軽くやりますので大丈夫ですが、もしパートナーが水中で気を失っていたら抱きかかえて海面まで上げてください」と言う。

俺は今まで貝を捕ったりするために潜ったことはあるけど、気絶するまで攻めたことはないので、少し怖くなる。

でもよく考えると、ビッグウエイバーはみんな素潜りに長けている。

とすると、波乗りの基本的要素「息を止める。冷静になる」ということを会得できるかもしれないぞ、と思った。

「そろそろ大丈夫です。お願いします」と彼の声でセッションがはじまった。

マスクを押さえ、静かに海底に沈んでいく徳岡をカメラを持って追いかける。

だがあまりにも暗く、しめつけられるような水圧を感じて恐ろしくなり、途中で海面に浮上して彼を待った。

彼があまりにも上がってこないので心配になり、また潜ると、暗い底から徳岡が現れた。

彼は気道確保のために顎を太陽がきらめく海面に向けて少し持ち上げ、ゆったりと浮き上がってくる。

その姿に吸い込まれるようにシャッターを押す。

それはまるで静かなクラッシック音楽を聴いているような優雅さだ。

徳岡は少し休み、また次のセッションのため海底に沈んでいく。

俺も何度か追いかけたところで水の中にいるのが気持ちよくなってきた。

海底に向かって、足ヒレをゆっくりと使って潜り、ある程度行ったところで力を抜くと、今度は海面に向かって緩やかに浮上していく。

この時、リラックスできていないと、海面まで待てずにお腹が痛くなり、全身が鉛のように重くなってしまう。

または極みにも近いリラックス状態に達すると、深く潜った後も海面まで簡単に上がることができた。

俺はこのエクストリームスポーツに「大きな広さ」を感じ、宇宙遊泳はこんな気分なのだろうかと悦に入る。

半魚人になったつもりでゆったりとその蒼く、深き海中を見渡しながらうっとりとゆっくりと海面に浮いてくる。

そのさらに深き蒼き海底に到達する人は、いったいどんな意識で海を感じているのだろうか?

帰りの船で徳岡にそのことを尋ねると、

「何も考えていません。考えると息が続きませんから」と言う。

きっとそこには精神の泉があふれているに違いないと俺は感じている。

海で人を磨く、その新しいフィールドを知り、俺は半ば恍惚となり、透き通った蒼いそらを見上げた。

うねりが届けば波に乗り、季節風が吹くとカイトサーフィンをし、風、うねりがないとスタンドアップパドルボードを楽しむ。

仕事はダイビングガイドとして自船を出して海中に入る。

そしてその合間にフリーダイビングの鍛錬をしている徳岡大之。

海人=ウオーターマンの毎日。

そして彼はこの美しく無限大の海で、決して留まることのない世界の極限を今日も目指している。

初出誌『オンザボード』2008年3月


4 thoughts on “   蒼く深き海ーー徳岡大之、ウオーターマンの毎日

  1. waterman

    この記事は我が家の家宝です。ナキさんに感謝。
    365日海に入ることによって何を感じるか?その先に何があるのか?楽しみです。