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naki's blog

波に乗るという本来の意味_(4498文字)

こんにちは。

いやあ、ダルビッシュさんは惜しかった。

ランナーをひとりも塁に出さない完全試合まであと一人、

9回の裏2アウトでした。

きれいなストレートが高めに浮き、

それでもしとめたのだが、打球の方向が悪かった。

「あと一人」

記憶に焼き付けておきます。

日本人初の大リーグでの完全試合にあとひとりと迫ったことは、

それはものすごいことです。

新時代ですね。

桜はいかがですか?

とてもお花見がしたいです。

この季節って、暖かいように感じますが、

じつのところ寒いので、

温かいものがお花見にはいいんですよね。

さて、

先月オーダーしたセンターフィン群が完成したというので、

サンディエゴの手前まで受け取りに行ってきた。

フリーウエイに乗って、

ピア、王子邸前、カラフィア、トレッスルズ、

チャーチ、サンオノフレと過ぎて行く。

サンオノフレの先は自然保護地区だったり、

海軍基地なので交通量がぐっと減る。

だが、今日は4車線全てに平均的に車がいて、

追い越し車線も他のレーンも同じ速度で走っていた。

「こういうときはのんびり行こう」

と決めて、

追い越し車線の横ーー路肩から中央に向かって3車線目を走っていた。

前方は前出したように車群の塊。

検問所を反対車線に見て海に向かい、

海岸線をかすめるように左カーブするところで車がばらつき始めた。

そこから速く走りたい車が車間を縫って前方に出るのが見えたが、

どうせその先にも車群がいるだろうから速度を変えずにそのまま行くと、

多くの車に追い抜かされたようで後ろに車がなくなった。

俺は後ろに車がいないのことが至上の喜びなので、

「これはのんびり走ったボーナスだ」

とばかりにオーディオの音量を上げて進んでいくと、

やがてバックミラーにいくつかの車が映った。

つぎの車群がやってきたようである。

速い先頭グループはすいすい追い抜き、

そして中盤群が来て、また前方に固まった。

やがてまたもやがら空きになった。

今までは自分も

「流れに乗るのが安全運転」

と運転していて、

いつもはこの車群内にいたから気づかなかった。

その際は本気モードで運転し、

右車線に、左車線、

お、この車は車線を動く気配がある、

とか、車間距離の空いたところに入り込み、

次に先に進める車線を虎視眈々と狙っていたりもした。

でものんびり行く今日、

「そんなことは必要なのか?」

と自問してみた。

速く走れば、

目的地には5分早く到着するだろう。

それと引き換えに得られるのは、

ちょっとしたスリルと達成感。

もしかしたら事故を起こしてしまう。

または速度超過等の違反をしてしまうかもしれない。

ルールを守って、車線変更をする際は、

事故を起こさないように顔を右に、

左に向け、サイドミラー、

バックミラーを小刻みに見て走る。

きっと集中力は養えるのだろうが、

それと引き替えにたっぷりのストレスを得る。

波乗りをしているときには、

こんな道路のことだとか、

ルールや事故のことを気にしないでサーフできるのが楽しい。

フリーウエイや道路という都会のルールや

摩擦から生じるストレスを海の上で霧散させているのだろう。

さて、本題です。

ニコリン師範のブログが昨日早くに投稿された。

https://www.nakisurf.com/blog/nikorin/archives/14837

読んで、記事の末尾にある「いいね!」を連射してしまった。

(一回しか反映されないにも関わらず)

その題名が、

『海が、みんなにとっての楽しい場所でありますように』

というもので、彼の母親の言葉から始まる。

「サーファーって、自然を愛して、

心が広い人達だと思っていたら 意外と視野が狭く、

常にイライラしていて、人生の波に乗れていない人が多いのね」

ということ。

常々、そう感じることが多くあった。

だから波が悪くても無人のブレイクに行き、

そういった「色」には染まらないようにしてきたのも事実であります。

話を少し変えよう。

先日、WBCという世界野球選手権があった。

国ごとにチームを作り、

各国相手に試合をして、その雌雄を決するというものだった。

ご存じのように今回はドミニカ共和国チームの圧勝に終わったが、

ドミニカの選手を見ていて気づいたのは、

「野球って楽しい遊びなんだ」ということ。

じつに楽しそうにプレイする選手たち。

「子どものときに戻ってプレイしていた」

という選手もいれば、

「各国からすばらしい選手が出ていて、

対決できて本当に楽しかった」

というコメントにもはっとさせられた。

2次ラウンドの際に、

日本対台湾戦を応援していた。

真剣な選手のひとりひとりに乗り移り、

よし次はシンカーが来る、

または外角低めに投げようと、

まるで念力遠隔操作の監督のつもりだった。

そして選手の表情と意気込み、

「勝ちたい」とか、

「このラウンドに生き残りたい」

という決意も自身に宿り、

「日本は生き残る!」と大きく掲げ、

宮本武蔵時代の真剣勝負のつもりで一緒に戦っていた。

結果はご存じのように日本チームが薄氷を渡るように勝ち、

「よーし!」とうれしく拳を握りしめていた。

「ドーダ!」と画面を見ると、

負けた台湾チームは、

穏和な表情の選手たちがグラウンドで深々と頭を下げているのではないか。

「日本チームといい試合ができてうれしい」

とか、多くの台湾の人が「日本おめでとうございます」

「がんばれ日本」と讃えてくれていた。

俺は冷水をかけられたようにハッとした。

もし負けたら自分はこんな風にふるまえたのだろうか?

台湾チームを憎み、

きっと王健民のハードシンカーを嫌いになったことだろう。

しかし、そんなことを軽く超えた

「同じスポーツをする人を敬う、高い次元のスポーツマンシップ」

ということを同じアジア人が教えてくれて、

さらに台湾が好きになったのでした。

で、話がサーフィングに戻るのですが、

10年ほど前までサーファー誌、

サーフィング誌の専属フォトグラファーとして写真を撮っていた。

このとき多くのトップサーファーを知ることになったのだが、

全員が礼儀正しく、

サーファーとはこうあるべきという模範であることに驚いた。

波乗りを撮ってもらったことがある人ならわかるだろうが、

誰もがいい波で撮って欲しいもの。

そしていい波はめったにはやってこない。

そこにエゴが浮かび上がってしまうもので、

そんな状況で目の前に「いい波」がやってくると、

紳士的に波を取るのはなかなかむずかしいものなんです。

海の中から写真を撮っているときも、

トップサーファーたちは順番を守ってサーフしていく。

上手だからって、

無理やり人の波をさらっていく人はいなかった。

ワイメアで開催されるエディ・アイカウ・インビテーショナルで名を馳せ、

世界中の大波に乗ることで知られるグレッグ・ロングがこの街にいる。

彼のことを中学生から知っているが、それは大らかで、

控えめで心優しく、すばらしい少年でありました。

そしてその名を世界中で知られるようになっても彼は何も変わってはいない。

これは真の波乗りが彼の性格を育んできた一例だと思う。

亡くなってしまったアンディ・アイアンズも

例に漏れずにすばらしい人だった。

イナリーズで会ったときに何回か話をしたが、

熱い情熱を内に秘めて、あの激流の中を一回一回、

大きく呼吸をしながら本気でパドリングしていた。

彼こそがノースハワイのローカルで、

さらにはサーフィング界では、

横綱の地位にあたる世界チャンピオン。

だが、

よその国から来た俺にもきちんと接してくれて、

「ここはローカルオンリーだ」とか、

「写真を撮ってはいけない」ということは一切言わずに、

波まで譲ってくれたことが印象に残っている。

どの国でもグレッグやアンディみたいな人がいて、

反対にローカルだからといって、

好きなことをしつつ、大声で威嚇して、

自分の欲しい波に順番を守らずに乗っていく人もいる。

逆にビジターのことを少し。

茅ヶ崎の海沿いに住んでいたときのこと。

都会から夜中にやってきたサーファーたちは、

夜明けを待つ間エンジンをかけっぱなし、

さらには音楽を大音量で鳴らしている。

そして夜明け前からみんなで大騒ぎし、

ワックスをガーコガーコと威勢良くかけて、

奇声を発して海に向かっていく。

上がってきたらまた一騒動で、

人の家が留守だとわかれば、

勝手に庭に入ってシャワーを浴び、

道路にはタバコの吸い殻、

そしていくばくかのゴミを残し去っていく。

ローカルの言い分、ビジターの言い分もいろいろあるだろうが、

俺たちは「サーファーである」

ということを忘れてしまっているのだろうか?

サーファーは、

人の力ではどうしょうもできない「波」に挑み、

不安定なサーフボードの上に乗って、

願わくばこうなるようにと、海の壁を進んでいく。

サーフィングとは体を鍛え、

そしてこころを磨いた人が、

見事に波に乗っていくものではないだろうか?

グレイトサーファーに会ってうれしいのは、

そんな歓びがあるからで、

その波に乗る道具も侍のカタナみたいだと思っているので、

ビジネスだけを考えていたり、

心が汚されていると感じるシェイパーのボードは乗らないようにしている。

験(げん)を担いだり、水平線に念を送ってみたり、

普段から食べものに気をつけて、

歩き方まで気にして一歩一歩と歩く。

そんな研ぎ澄まされた世界の中、

自分で選んだ波に乗って風を切り裂いていくのは悦楽を超えて、

超霊的だとさえいえよう。

武道にも「こころを磨く」という大前提があったが、

商業武道が普及した今は、

こころではなく、昇段試験の費用を払い、

それなりの段位を取得して、

技術だけを磨いている武道家も多いのだろうか。

とすると、雲を見て、

風の向きを予測していた心静かなサーファーたちも同様に、

技術だけを追い求め、

その結果、高い技術を持つものが人として優れていると感じ、

サーフボードは数字だけで判断し、

自分の位が高いと信じこみ、その邪魔をするものは、

(地元仲間でないと)斬って捨てるようになったのだろうか?

これは新たなカースト制度だろうか?

その昔日本にも斬捨御免(きりすてごめん)の

「士農工商」という言葉があったが、

これを少し変えて、

「地技力年」という言葉が浮かんだ。

これは左から

地元

技術

腕力

年齢

ということで、

このことに長けていれば位が上ということで、

もし同じ位であれば、

「その混合率の高さで立ち位置が決まる」

ということになっているようだ。

誰が決めたのか?

こんなことはなくなればいいな、と。

大事なのは、

サーファーのひとりひとりが誇りを持ち、

対峙するのは人ではなく、波だということを知ることだろう。

中身の薄い雑誌や、

ローカル崇拝誌はリサイクルボックスに入れて、

「コンテストのクライテリアが全てとなる」

競技ではないサーフィングをしたい。

「波に乗る」という本来の意味を知り、

サーファー同士が信頼し、尊敬しあって、

すばらしい世界にしよう。

自分もまだまだなので、

これからはさらに気を入れて、

少しでも波と自身を深く合致させて、

そのすばらしい感覚を得られるように進んでいきたい。

みなさんにもどこまでもすてきで、

さらなるサーフィン世界が訪れることをお祈りします。