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伝説を取り戻せ_(2013年BLUE誌巻頭コラムより)

Two headed Raven

“ノーズを落とせ、もっと漕げ、息を吐け

滑り始めたら飛び乗れ、底に向かって足を落とせ

風を受けて波の中に飛び込め”

“かつて波に乗る人は伝説だった”

しかし、いつからかサーファーと命名され、

技と既得権を重要視するただの波に乗る人になってしまった”

1778年、ハワイにやってきたキャプテン・クックは、

島民たちが短い木製ボード(パイポ)で波に乗っていたと、

その航海記録に残している。

それから112年後、

デューク・カハナモクがハワイに誕生した。

彼は波に乗ることを愛し、

そしていつまでもどこまでも泳いでいけたという。

水泳選手としてオリンピックにも出場して多くの金メダルを獲り、

ハワイアン・ウオーターマンの名を世界に知らしめた。

彼はハワイアン・トラディショナルとされる16フィート (4.8 m)、

52kg もある”パパ・ヌイ(Papa Nui=大きな板)”

というハワイアン・コアウッド製のOLOボードを操り、

ワイキキでデモンストレーションを始めた。

これがプロサーフィングの発端である。

そしてオーストラリア、シドニー(1914年)で、

そしてアメリカ本土サンタクルーズで波に乗ることのすばらしさを伝えた。

さらにそれから100年後の今日、

サーフィン業界は全盛を極め、

サーフブランドのみならず、大手スポーツメーカーが参入し、

コンテストは大型化し、膨張し続けている。

ハンティントンビーチで開催されたUSオープンでは、

巨大な会場にのべ100万人の観衆動員を達成し、

開催地におよそ16億円もの経済効果をもたらせた。

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「いかに波に乗るか」

ということを底流に持ち続けてきたサーフィング。

競技は加熱し、コンテスト主義は浸透し、

サーファーはより上手であること、

そして競うことが波周りでは重要となった。

より上手な人が好きなように波を得ることができる。

そうでない人はその次となり、

さらにその土地に近接しているかそうでないかの身分制度が採用されていて、

これは「人が波に乗る」という

デューク・カハナモクが伝えたかったことから大きく離れてしまっている。

波に乗ることに懸命だった黎明期。

そして繁栄期の今、ねじれた技術支配がやってきた。

しかし、世界中の達人たちが多様なスタイルで波に乗りはじめると、

その流儀の枝葉が増えてきて、樹状構造の大木が出現してきた。

デュークの系譜を継ぐ伝統系。

フィンを取り去り、

波との接点を極小化したフィンレス。

険しい大波に挑むエクストリーマー。

世界各地でそれぞれの波とカルチャーを感じるトラベラー。

波のどんな位置にも舞えるアクロバット。

波乗り世界を通じてアートとして表現する優雅系。

波から得たハピネスを生き方へと表現するライフスタイル派。

全ての系統に共通しているのは、

海から伝えられた実体験や経験を生き方の指針とするということ。

そして今日(こんにち)、

老若男女が波に乗ることが世界中に広まった。

テクニックやコンテストの結果が基準ではない、

自由で楽しい滑走をひとつの流れとして、

これからのサーフィング世界は熟成していく。

波乗りには自然からの教え、囁きがあり、

そこから豊かな発想を芽生えさせ、自身への挑戦があって、

鍛錬、集中力を高め、自然への愛、

幸福感を抱き、友情を深め、真理を得る。

それは例えようもないほどすばらしいもの。

ロマンを持って海に向かい、

忘れられない一瞬を得ることができたのなら、

それを生涯暖め、発火し続けられるパワーをもたらせる。

本物のサーファーは謙虚で、深く、そして大きい。

波乗りを愛する人たちがデュークの意志を受け継ぎ、

多くの人にこの生き方のすばらしさを伝えるだろう。

波の中に飛び込んだときに見えた純粋で強い光彩そのままに。

(初出自、BLUE誌巻頭コラム2013年5月号)

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