波に乗る仕事をしているのは、
波に乗ることが猛烈に好きな故だが、
こうして波がずっとあると、
とっくに体力が尽きてしまっているのがわかる。
夕食を食べ終わるころになると、
重力が10倍くらいに感じ、
よたよたとベッドまでたどりつくと、
この世界の幕は閉じ、そして一瞬で朝になっている。
熟睡しているはずだが、
この数十年は疲れなどは取れたことはなく、
朝になってもずしりと重い身体があり、
背中は鉄板を入れたように硬くなり、
なんとか立ち上がって水を飲んで、
空を見ると夜明けが近い色になっている。
また波はあるのだろう。
そして俺はまた波乗りに行く。
(巻末注釈リンク*1へ)
話はそれるが、
文章を書いて生きていく、
つまり文筆家になるためには、
10年間欠かさずに(人に読ませられるような)日記を書けば、
プロになれるための基礎ができると聞いた。
10年以上書いているが、
文章は波乗り同様むずかしいものである。
最近はサーフィンブームで、
「プロサーファーになりたいのです。どうすればいいですか?」
そんな相談を受けることもある。
そこでその文章世界と同様に
「10年間毎日サーフできるような環境に自分をおいて、
毎日サーフし続けられたらなれますよ」
そう答えると、相手は「毎日!」と言ってうれしそうな顔をするのだが、
その次の瞬間には、うろたえたような表情となり、
ちょっぴり逃げ腰となって立ち去っていくのがほとんどだ。
そう、サーフを毎日するというのは、
「好き」とか「愛」を超えた何かが存在しているのだと思う。
二ラウンド合計の9時間強サーフを湘南でし、
それから千葉に来て、夜明けと日没時間の2ラウンド。
(巻末注釈リンク*2へ)
翌日も夜明けからサーフし、今日も明日も波に乗る。
こうして私は32年間ほぼ毎日波に乗ってきた。
それは執念でも、
根性でもなく、
何が自分をここまで駆り立てるのかがわからぬが、
海に向かい、
いつものように「怪我をしませんように」
「海に波に、全てのことにありがとう」
そんな祈りの中パドルアウトする。
Ventura, Califorinia
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どんなものでも長く続けると見えてくるものがあるという。
「石の上にも3年」
「10年で一人前」
「武術一万日」
最初は好きが憧れになり、そしてそれが病みつきとなり、
さらには執念や根性を通り越して愛となり、
(巻末注釈リンク*3)
今では人生そのものになったとすら思える。
実際のところ、疲労で腕も上がらなくても、
疲れでめまいがしても、腰が痛かろうが、
好きな波でなくても風が強くても
水が冷たくてもパドルアウトすることが日常となった。
実際には10分だけという日もあるし、
先日は「1本だけ」というセッションもあった。
でも海のそばにいて、
波に乗れそうであれば着替えてボードを持って、
波に向かう。
それだけ。
シンプルなのであります。
これはサーフ愛の先、いや果てにある囚われ、
つまりホテルカリフォルニアの歌詞のようなものなのか、
それとも幻想の中に生きてしまっているのかはわからぬが、
俺はこれからも波を想い、そして波に乗るのだろう。
そんな真夏日の夕陽は、
どこまでも美しく、そして荘厳だった。
波乗りの良さは、
この大自然からのメッセージを受けられることでもあるのだろう。
了
(初出自Blue誌巻頭コラム)
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【巻末注釈リンク*1:なぜ波乗りを始めたのか?】
【巻末注釈リンク*2:サーファーズ岬について】
【巻末注釈リンク*3:波乗り愛について】
Happy Surfing!
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