こんにちは、
いかがお過ごしですか。
待ちに待ったBlue誌の発売日となりました。
あまりにもうれしく、
朝から書店に行ってきました。
今号の巻頭コラムも書かせていただきました。
題名は、「ワイルドなサーファーたち」。
加えまして、
NAKISURFより
『ハッピーサーフィン』広告を出稿させていただきました。
そして、
あの永遠旅だった奄美大島の特集号となりました。
こちらのメインタイトルは、
『父と娘は波の夢を見る』
そんな内容としてみました。
しかもこれは、
12ページを割いていただき、
Blue誌の旅ページでは最大枠(*)での特集です。
(*編集長、戸井田氏調べ)
普段はあまり「読んでください」と言わないのですが、
この記事の文章はぜひ読んでみてください。
サーフィンが大好きで、
それが人生になった男と、その娘の心象を書き、
さらに今回はその果てはどこに結実したのかを描くことができました。
読まれてのご感想もぜひこちらまでお寄せください。
shop@nakisurf.com
ちなみに今のところ弊社のオンラインストアにもBlue誌の在庫がございます。
https://www.nakisurfshop.com/SHOP/blue58.html
よろしければこちらかもお求めいただけます。
□
ついに雨が上がってきました。
明日はキリリ晴れたらうれしいです。
Nation Hyper Sonic 5’7″
波もちょっぴり上がっています。
昨日のサーファーズ岬、その続きからです。
【ちょっぴり特大号、前編】逗子サーファーズ岬から知るハッピーサーフィンの未来とカタチ_Surfers at Zushi岬_(3108文字)
The Burger here at “Surfers” is the best!
Lettuce,
grilled onions,
tomatos,
avocado,
Ameican cheese,
house spread & served on a Challah bun.
The natural angus USA beef is ground in-house.
Comes with kettle chips and house pickle.
900Yen
まるで初夏そのものようなテラス。
下手をしたら温帯かと思える湘南逗子の、
サーファーにとっては垂涎場所の岬の上にあるSurfers。
その看板メニューでもあるそれはおいしいSurfersバーガーを食べつつ、
昔話をしていたら泰介さんが東京から戻って来られた。
「急いで戻ってきたよ。波どう?」
「まだまだ最高です!」
そう言いながらサーファーズの大旦那であるナルちゃんこと、
成瀬さんと2ショットをいただきました。
この後、
泰介さんは瞬時にウエットスーツに着替え、
ふわりとストレッチをされて、
Surfers岬手前側のピーク群に向かわれていった。
69歳とは思えない身のこなしと、
彼がいまだに持たれている
“波に乗ることに対しての情熱”を知って私は熱くなった。
□
昨日書くスペースがなかったのだが、
岬のラインナップに岡本さんをお見かけし、
少しのあいだお話させていただいた。
「岡本さんはおいくつでしたっけ?」
「学年で言うとヌマくんの1歳下だよ」
「やはりその世代なんですね。
それにしてもヌマさんはどうしてあの奧で波を待っているんですか?」
「ヌマくんはあそこが好きなんだよ」
「へー。昔からですか?」
「そう、だからあそこをヌマピークと言うんだぜ」
「そうでしたか」
「けれど今はイクオピークとも言うな」
「上野郁夫さんですか?」
「そう曽根(きんちゃんのこと)の仲間のイクオくんだ」
これは全く意味もない会話に感じるが、
私が感じたのは、
岡本さんたちが50年近くここでサーフしていて、
それぞれの根(棚)にそれぞれの名前が付けていること。
波乗りは年齢を問わない遊びで、
そしてそれぞれのブレイクは遊び場だということを再確認し、
私も日本にいるときは、
こういうことに楽しさを見いだしていたことも思いだした。
この岡本さんは、
私のウエットスーツの当時のスポンサーであり、
(サーファーの)スタイルに対しては、
大野薫さん(故人)と同様にうるさい人であった。
「ピーチサンダルを履いてペタペタ歩くな」
「ガニ股でサーフするなら今すぐ辞めろ」
「個性的な車に乗れ」
「リーシュはするな」
「ハワイの波に乗れ」
「サーフボードにこだわれ」
「硬派でいるように」
そんなことを教えてくださり、
ご本人はポルシェとかレンジローバーに乗り、
紺と白のボーダーのサマーセーターを着たり、
当時は誰も持っていなかったシープスキンのブーツを履かれ、
コットントップのベレー帽をかぶり、
イングリッシュ・シープドッグのクッキーと、
キャスパーを片瀬海岸付近の公園に散歩させていた。
当時の私は、
ボロボロのいすずジェミニ(ベージュ)に乗っていたことを思いだした。
サーフコンテストに行く前日、
そのおんぼろジェミニでキコキコキーキと、
サスペンションから不安な音をさせながら、
新しいウエットスーツを受け取りに行くと、
片瀬海岸3丁目のご自宅兼事務所&工場にいらした岡本さんは、
2階から降りてきて、
「船木よ、プロサーファーは格好良くなくてはならないのだ。
よって、お前は千葉プロオープン(名前失念)にはこの車に乗っていくように」
そう言って強引にポルシェ(スポーツ・マニュアル車)を貸してくださり、
私は大喜びでそれに乗って久里浜経由東京湾フェリーで千葉に渡り、
部原の試合に出場したのは今は昔。
私の顔を運転席に見た他の選手の凍り付いたような顔が忘れられない。(笑)
あまりそういう(目立つ)ことをしてはいけない時代の黄色いポルシェ。
千葉の山道をスポーツカーで走る楽しいドライブを思い出しました。
岡本さん、ありがとうございました。
□
ブログを書いていなかったので、
Surfersさんを後にし、
由比ヶ浜の超名店umi cafeに行き、
店主一平くんにおいしいポアオーバー・コーヒーを淹れていただいた。
コーヒーにも色々ありますが、
日本の喫茶店方式が1番おいしく思えます。
ブログに熱が入り、気付くと日没時間でありました。
由比ヶ浜で見かけたCOLE信者。
長く使っていただいてうれしいです。
稲村ヶ崎で抱井さんたちを思い出し、
姥ヶ谷で暖くんらしきサーファーのスラッシュを見た。
ここはすでにファーストキッチンではなく、
パシフィック・ドライブインとなっていて、
この外装をデザインされた中村豪さんを思い出すに至る。
10代の私は、
毎日ここでサーフかパドルしていたブレイク。
夕陽時刻は満潮でもあったようです。
ご存じの方も多いのだろうが、
国道134号線の七里ヶ浜域では、
Sさんの危惧する道路工事が盛大に行われていて、
景観もそうですが、
海を愛する人がこの工事を設計したら、
もしかしたら全く違ったものになっていたと直感してしまった。
「夕陽頃に」
という約束をした一人はRVCAジャパン主宰の洋平さん。
彼こそが後の三蔵瀧朗であり、
ウナクネ三蔵法師としてウナクネカード㉚となる人でありました。
「自分は(メディアに)露出しないスタイルを貫いていますが、NAKIさんは別です」
そう言って、
ドラちゃんシェイプのミッドレングスと一緒に撮らせてくれた。
「ドラちゃんって?」
「あ、クリスチャン(フレッチャー)のことです。
あいつ、ドラネコみたいに突然いなくなって、
突然現れたりするからそんなあだ名にしました」
「ドラちゃんって響きがいいね」
でもそれって野良猫なので、
ノラちゃんではないかと思ったが黙っていた。(笑)
「この前のブレイク、かなりウナクネ度高いです。
スクールをしているとき以外はいつも無人ですし」
そんな片瀬浜は、昔同様に見渡す限り無人でした。
それからカツ禅師さま如来となり、
このアロハテーブルで、
キャッチサーフ・ジャパンミーティングとなりました。
このキャッチサーフは、
世界で一大ムーブメントとなっていて、
それを展開し、
さらには日本仕様に転換するためのアイディアを話していく。
かつ禅師はとても精鋭知能であるので、
すばらしい焦点の販売戦略論と、
エネルギッシュな247(毎日毎時間)という仕事方法の啓示を受け、
最後には、
ハッピーサーフのことを熱く語り合うミーティングとなりました。
そうして片瀬江ノ島の夜は更けていくのでありました。
ハッピーサーフィン、広まりますように!
Have a wonderful day!!
■