この数日間は、
あれやこれやという間に過ぎていた。
太郎二郎とのサイコロ大会があり、
それは太郎くんの圧勝に終わった。
かんたんなルールなのでいつかご紹介します。
河合会長がやってきたので、
横浪半島に、
青龍寺に想いを馳せていると、
栃木名物の餃子が出てきた。
さらには前田博士のこれから向かうメンタワイ2月だったり、
ビーチ焚火、
千葉に降った雪や
大坂なおみの試合だったり、
再び波高を上げた伊豆波のこと。
そんなこと、あんなことが飛ぶように過ぎ去り、
気づくとそらの上であり、
それはいつかこんな景色を結んだ。
Amami Oshima, 2019
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そう、ここは奄美大島であります。
深遠と澄明の場所であり、
きっと遣唐使船に乗って空海もほぼ同じ風景を見たであろうと、
1200年前に想いを寄せた。
そんな崇高な場所は、
鎌倉からつながるサーフィン研究所を、
サーフィンの研究に打ち込む場所となる。
鎌倉での新春の決意。
そして珠丸(ずまる)の登場。
自分がサーフィンを始め、
人生をかけて打ち込んだサーフブレイク。
(参考ポスト*1を巻末に)
37年経って、
上からずっと波を見続けていたら、
さまざまな疑問が氷解していった。
そして千葉北のサーフィン研究所で、
石油ファンヒーターと共に再び波乗りに没頭していた。
これでサーフィン研究所は3つとなった。
サンクレメンテ
ノースハワイ(カウアイ島)
鎌倉
千葉北(NAKISURF内)
第4のサーフィン研究所付近では、
氷解しきれなかった疑問を研究すべく没頭していると、
夜に強風となり、付近に積雪が見られた。
これは午前11時の雪の名残。
この雪は、
伊勢正三さんの『なごり雪』というフォークソングと、
それをカバーしたイルカさんの声を思いだした。
また、この小雪ダルマは暖冬千葉の意地にも見えた。
ウナクネ心友会
河合会長のボルボ240で空港まで送っていただいた。
誉れ高き名車であります。
機長乱暴系で飛び上がった機は、
千葉を銚子を先端に従えるまで上昇し、
茨城県を後ろに見せ、太平洋の海原を南下していく。
一瞬の睡りの後は、
冒頭の視界となった。
二郎くんではないが、
「なんだ、かんたんだなと思いました」
という心持ちでありました。
(二郎くんについては、参考ポスト*3を巻末に)
緑くんがジブリケイくん夫妻のガイドに東シナ海に行って不在らしく、
代わりに大智くんが来てくれた。
見えるボードはキャッチサーフの今年モデルの
スキッパーフィッシュとプランク、
両方とも6フィートモデルです。
それでは、
明日からは奄美の秘密研究所で、
サーフィン研究をしていきますので、
どうぞよろしくお願いします。
【巻末参考ポスト*1:サーフィン研究所@鎌倉】
【巻末参考ポスト*2:珠丸のこと】
【巻末参考ポスト*3:二郎くんのかんたん】
Happy Surfing!!
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