昨日、
海を見に行ったら波が大きくなっていた。
波情報の類は、
どうしても良い波でサーフしたいとき、
近しい人と一緒にサーフするとき、
「各社情報を用いて予測する」
という使い方をしている。
よって昨日は、
天気図以外の情報を見てもおらず、
ただこの天気図からここまでの波があるとは思っていなかった。
南東、東うねりのマジックである。
波は超が付くほど良く、
けれどいざパドルアウトしてみると、
偉大なるピークは奔放そのものだった。
波に乗る際は、
波の内側、斜面を滑ることは重要で、
その最大の理由は容易に乗ることができるからだ。
波の内側に入るためには、
ピーク部分からテイクオフして波の中に入るようにすれば良い。
ピークは波の切り立ちの頂上、
頂上部分、塊先端みたいなものだったり、
わりとぼんやりとその存在を伝えているときがある。
もしこのピークがなくて、
頂上付近が一緒に崩れるのは、
クローズアウト(日本ではダンパー)で、
バレルが巨大なとき以外はあまり好まれない。
昨日の波に戻る。
そのピークが奔放だと言ったのは、
それ、それらが、
半径200mを駆け回るようにブレイクしていたからだ。
あっちだと思えばこっち、
ときに天変地異みたいな泡波がやってきて、
海を覆うところだなんて、
神話がリアリティを持って迫ってくるようだった。
ただその奔放も、
バリエーションというか、
バラエティがあるので、
波が崩れた履歴の中で、
「一番威厳がある硬そうな波」
がブレイクしたエリアに向けてパドリングしていく。
その付近に行くと、
「浅く、岸側に向けてさらに浅くなる」
という場所を見つけた。
「ここだ」
その浅瀬の沖で待つ。
だが、
沖に向かって右から左に強烈な流れがあって、
あっという間にそこから流されていく。
パドリングに息を入れて、
そこに戻り、
波待ちの姿勢ではなく、
パドリングしながら波を待つ。
水平線の彼方に、
うねりの塊が見えた。
「これだ」
予測よりも大きな塊だったので、
上流、そして沖側に動きながら沖を見ると、
それは、
「来る」
という確信に変わった。
「来た」
だが、ピークは自分の想像よりも沖側に出現してしまった。
その誤差は5mくらいだろう。
ノーパドルの「合わせ」ならこの波に入れるチャンスがあった。
ぎりぎりまで波を追いかけ、
波底でボードを陸側、波の角度に合わせて沈ませながら回す。
回りながら、波腹に昇っていく。
そこに出現する窪みに合わせ、
沈ませていたスキッパーフィッシュを放つ。
放す際に掴んだノーズの柔らかさが、
気持ちを一瞬ふわりとさせる。
悪くない感覚だ。
持ち上げられつつ、
波側のレイルを押しつけていく。
感覚としては、
下に下に
下に波に
そんな順だろうか。
テイクオフが始まった。
Catch Surf ®ODYSEA Skipper Fish x Taj Barrow Pro 6’0″
.
良いセクションが見える。
先日ここに登場した竜太くんは北海道出身だ。
彼はサーフィンをしつつ、
冬は雪山に籠もる。
いわゆるスノーボードフリークで、
私にその魅力を語ってくれた。
「奇跡の雪です」
彼は目を輝かせながらそう言った。
そんなことをこの瞬間に思いだしていた。
「山ですと、4kmものパーフェクトウェーブに乗れます」
彼の言葉が浮かんでいた。
液体の上を滑る感覚の数式があれば、
それはいったいどのくらいになるのだろう。
そんなことを考えていた。
一瞬が数秒にも感じられ、
数秒が永遠にも思える。
感覚的には永劫にも感じられる時間を滑走し、
風を切りいていく音を味わっていた。
「4km、いや、もっとあったかもしれない」
私は夢の中でそう語るだろう。
そしてお決まりのセリフが出る。
「波はさ、距離ではその良さを測れない。
もちろん波のサイズの大小という話でもない。
言いたいのは、
その波に乗るまでのドラマ、
例えばどのボードをどんな気持ちで選んだか、
そして自身のこと、精神的にも肉体も観じ、
記憶のことや経験のことも立ちのぼってはまとめ、
海にかき分けて、
その強大なパワーを受け、
孤独の不安に苛(さいな)ませられ、
そして沖に出て、
乗って感じた感覚ということなんだ」
Happy Surfing!!
◎