3.8フィートの週末
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片岡鯖男
序
波乗りはいまでも好きだが、
ショートボードには燃えなくなってしまった。
なぜだろう。
だってぼくが十代のころにあこがれていたサーフボードは、
アラン・バーンの ディープ6チャンネルとかベン・アイパ、
ディック・ブルーワーなど、
今ではすっかりクラシカルなやつで、
サイズは175から182センチくらい、
トライ・フィンだった。
トム・カレンに帰着するスタイルは雰囲気的にこの系列であり、
ぼくのサーフィンに対する好みを決定的なものにしてしまっている。
ディープ・バレルがやってきた。
速く、深く、そして極み。
そんな修法が続いた。
後で、写真を見ると、それはまさしく龍の胎内にいるようだった。
これは、ほかにちょっとたとえようのない、比較するもののない、素晴らしい世界だとだけ、ここでは書いておこう。
実際に波に乗っているときの感覚、
ボトムターンで後ろ足を引き絞る。
そしてバレル・ラインに合わせてセッティングしていく。
ぼくはそのきっかけをサバ手に求めた。
波に乗る気持ちを、そのうれしさを表現する。
あるときは忍者のポーズであり、これはタローマンが発祥だというのだが、
自然発生的なものなので、もしかすると抱井さん、もっと昔のサーファーもやっていたのだろう。
またあるときは、よろこびをさとられないように両手ブラリ戦法だが、誌面が違うのでここでは記さない。
このときはサバ手だった。
これはかけがえのないほど前向きな気持ちである。
波に乗らされているのではなく、
自身で乗っているという感覚が、
六感のなかによみがえるときたいていはスロー・モーションになっている。
気温が摂氏30度ともなれば、
オフ・ショアの風が、海風、
オン・ショアにかわっていく。
数日前、
大きな低気圧が通過した日の話だが、
ピークの真下の、海底にある丸い玉石のおたがいに触れ合う音の話におどろかされた。
体を低くしてかためる。
「テイクオフ」という冒険。
波というカタパルトを使って飛ぶように滑っていくとき、いつもより感覚が違うことに気がついた。
これはただ波が違うだけではない。
その理由はすぐにわかった。
波が底からゴゴロゴゴザゴと、ひくくにぶい音を出していたからだった。
波の力で海底の玉石がビー玉みたいに転がっておたがいにぶつかりあっている。
アイランド・キック・アウトして水のなかに入ると、外にいるときよりもずっとはっきり聞えた。
楽しいことを全身で楽しむ、感じるということが少なくなっているのだとしたら、サーフィンこそはラスト・ホープかもしれない。
サーフィン、そして自分の表現のひとつであるサバ手は、地球や宇宙との、きわめて無邪気なたわむれなのだろう。
(2019/05/24)
この日、
鯖男先生と一緒にいた人たちスナップ。
タローマンによる完全なるサバ手。
ウエットスーツ採寸時のような、
肩の骨から手首までまっすぐというのが完全だというが、
レオナルドダビンチのスケッチにあった鳥飛行機風も完全です。
片岡鯖男先生による超ディープバレル。
先生が、
フォームボール内の刹那を焼き付けていた瞬間。
「泡を踏むのか、ふわりと乗せるのか」
そんなことをこの波の後で聞いて来られた。
鯖男先生と一緒にサーフしたマコトくん。
ウナクネ用心棒のひとりであり、
大岐の浜での立ち回りがひときわ際立って知られている。
絶妙なるバレルセッティング。
波乗り世界にとても熱い男である。
このセッションにも突然現れた論客タローマン。
ニー・ボーディングだが、
「ぼくのはですね。ジョージ・グリーノウではなく、
サバ手の(スティーブ)キャバレロであり、
(マーク)ゴンザレスですよ」
彼の世界はスケートボードだったり、
1980年代に満たされているのを明解にするのはいつものこと。
この波にとても思い入れがあったNISIさん(故人)がいる。
彼の愛弟子のクリスチャン・フレッチャーが、
瀧朗とやってきて、
NISIさんを偲んでここに散骨したのは今は昔。
それならばと、
私は彼の朋輩(永き友のこと)だった老師泰介さんのつもりで乗った。
キャッチサーフ6。
Happy Dragon Glide!!
◎