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naki's blog

夏に見る夢_部原マルイプロとトム・カレン_33年前の波_レインボー・グライド_(2268文字)

夏に見た夢は、

彼の地で見た。

波が翁になり、

天に還っていった。

美しい波がやってきて、

「その波」は、

半透明で不定形な長い体となり、

「能面翁」の木彫仮面を先頭に、

うれしそうにエネルギッシュにうねり、

そして絶叫に近い歓喜の声を上げ、

反時計回りで天に昇っていった。

それは神々しく、

これはめでたきことだと、

古語になるのは、

文体だけでも時代を逆行したいからに他ならない。

例えば宮沢賢治さんが詩文を書き始めた時代は、

大正12年(1923)だろうか。

このときの文学は娯楽の主役も主役だったことだろう。

携帯電話はおろか、

TV、

ラジオもなく、

ただ唯一、

稀に見られるのが無声(トーキーも)映画という時代だ。

文章がどこまでも深いのは、

磨きに磨き抜いたからであり、

その時代の矜持ということすら文面に感じることがあります。

(宮沢賢治さんを研究中です↓)

【特大号】サーフィン研究家_永原レキくん_宮沢賢治のひとり旅_(3005文字)

昨日は雨。

サーフしたく、

上総一宮の海岸に行くと、

駐車場係の人たちまでもいない無人日だった。

北東風で海波面の起伏も激しく、

しかもサイズも満たず。

エボルブの前田博士と会う約束をしていたので、

とにかく南下していくと、

日曜日の奇跡のメインステージとなった御宿が気になって行ってみた。

山下達郎さんのGROOVIN’で、30cm波の感動に少年時代_フルーツトマトのリガトーニ_(1935文字)

一昨日の波高は30cmあったが、

半分程度のそれは美しい波がブレイクしていた。

ただ、

干潮時ということもあって浅いので、

治りかけてきた膝を痛めるわけにはいかない、

海面が荒れていても部原がいいのでは?

部原はヘバラと読み、

ベテランサーファーならお分かりの、

日本で最初の世界大会ツアー開催地。

(単発の世界戦ではない)

毎年秋には、

千葉県勝浦のヘバラにチャンピオンたちが来ていた。

世界サーキットの開催地である。

かんたんに言うのなら、

現在ジェフリーズ・ベイで、

WSL/CT戦が開催されているが、

そのひとつをここ部原海岸で開催していたのです。

すごい。

部原波の当時の印象は、

「奇天烈」

「読めない」

「くせ波」

けど、

海外の選手がこの部原の奇妙波に乗ると、

全く奇妙にも見えず、

もっと言うと、

とっても良い波に見えるわけです。

『丸井プロ』

いい時代でした。

さて、秋なので台風がやってきます。

大会期間中も何号だかが、

ダブルでやってきました。

夜から大時化となり、

夜が明けても猛風オン・ショアは吹き荒れ、

雨が強かった。

これでは(コンテスト)延期だろうと、

大荒れの海を見に行くと、

やはり大荒れで、

波は泡となり、見るも無惨で、

魚以外の生物は何もいなくなっていた。

すると、

沖の波間、

いわゆるオバケ波が来るピークの辺りに物体が浮かんでいた。

アザラシか何かだろうかと見凝らしていると、

それはなんとなくガイジンだった。

ガイジンは、

こんな時化の中を泳ぐのかと驚いた。

ガイジンはここにたくさんいるけど、

こんなに嵐なのに人間として平気なのか、

具体的には溺れないのかと心配になった。

海上保安庁への連絡というのも頭をよぎったほどだ。

巨大なジャンク波がガイジンにかぶさろうとしていた。

絶句。

すると、

体がぴょんと前に出てきて、

ガイジンは波の上に浮かび上がった。

そして、

部原アウトサイドの斜面を滑り続けた。

いわゆるボディサーフだ。

途中までやってきて、

消えたと思ったら、

大量の泡の横に浮かび上がった。

そこはメインピーク北側であり、

次にやってきたウエッジを5かきくらいで乗り、

大会本部側に、

今で言うと、

マンションの前までレフト方面に乗ってきた。

ショア・ブレイク手前でプル・アウトし、

少しのあいだ浮かんでいたと思っていたら

突然消えたように見えなくなり、

次の瞬間には砂浜を歩いていた。

当時のボキャブラリーで言うと、

オーシャン・ニンジャだ!

そう思ってしまったのであります。

なんとその海忍者は、

トム・カレンだったのだ。

彼は天才児というか、

革命的なるカーブサーフィンの真価と、

感動をサーフィン界に与えていまにいたっている。

そんなヤング・カリスマと、

海忍者が部原でミックスした。

トム・カレンは私に

「サーフィンの極みは海で遊ぶこと」

という基本思想を示してくれた瞬間でありました。

そんなことを思い出しつつパドルアウトすると、

滞在していたサンセットタウン・ハウスの前であり、

そこには33年前と同じウエッジがあり、

その下からイニシャルパドルを開始し、

ダブルアップとなるエッジからテイクオフした。

さすがリーフブレイクであります。

色あせない波のセットアップに感動していると、

MALIBU INNがあった辺りまで乗って来られて、

すると、

1980年代にあったストリーマーズの建物とか、

まだ少年だったニッキー・ウッドとか、

ロス・クラークジョーンズという顔が浮かぶのでありました。

(当時の私はリップカール・チームだったので、

彼等のケアという名目で、

大会会期中は、選手用の宿舎に滞在していた)

銀河鉄道999 松本零士 少年画報社刊より

©Galaxy Express By L. Matsumoto

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宇宙は、

その深遠のかけらをそれぞれの世界に映す。

Seea, Amami Oshima

シーアのカタログ撮影からのヒトコマ。

何か前衛的なことをしたかった。

題して、

『ルーキと、マケイラのレインボー・グライド』

“Luki and Makala’s Rainbow Glide”

ちなみにこのときのアシスタントは、

グリーンヒルの緑くんである。

奄美大島、手広ビーチ。

夏の浜辺で、

ムーチョ・アロハビールを飲みながらの撮影だったことも思いだした。

これも夏の思い出。

乾杯!

Happy Surfing!!