さきほど月齢7が過ぎ、
上弦の月(waxing moon)となりました。
ワクシング・ムーンとは、
満ちていく(wax)月という意味です。
月の満ち欠けは止まらないので、
進行形としての現在分詞が付けられているのでありましょう。
キリリと冷えて、
凛としたそらでした。
上弦の月は、
昇るときにその弓部分を下に向ける。
なので、これが落ちていくものだとわかるのは、
天体に詳しいお方でありましょう。
不思議だけど、確かであり、
けれど、みんなおよそ何も知らないもの、
それがそらに浮いている。
さて、今日も昨日、
一昨日の続きからとなります。
前編はこちらです。
中編と続きました。
[3.後編]
伸びるように拡がり、
妖獣は丸まった。
分厚い波斧の切っ先。
それがかぶさってくる。
ジェイミーは、
アールから見ると、
ほんの少しだけ下にいた。
遠くに出現するであろうアール(R)に、
パイプ状となるところをつないでラインとして、
それにレイルを合わせた。
よし、こうだ。
そうだ、そう。
左手をコンパスの針とし、
そこから一文字に右レイルをつなぎ、
後ろ足をかためた。
「極め」である。
最速方向に加重するための準備はできた。
前足はレイルの横。
いつものバック・サイドのスタイルだった。
セクションが想像したよりも拡がり、
ストールさせすぎたと確信するほど、
ビハインドに入っていた。
「奥、いや下過ぎる」
嫌な感覚である。
それでもバレルの芯に、
真芯にとどまるべく、
波からの降下重力を接結させて減速させた。
重力の急激な転化で、
まるで止まっているかのような錯覚におちいる。
それでも耐えて、
実際に速度を止め、
“ただ浮いている”
というゼロ状態となった。
ゆっくりと、
そしてしっかりと妖獣は、
ジェイミーを呑み込むように引き上げた。
よし来たぞ。
芯が近づいてきた。
まだ、
まだ、だ。
そろそろ。
ここ、だ。
小さく、
減速するように合わせると、
ザズュ(ZAZZZZU)
レイルが小さな音を立てた。
前を踏みながらレイルとテイルをフリーにした。
完璧だ。
いや、
もっと上だ。
下に降りすぎている。
深すぎたのか。
バックドア側に動かずに、
ボイルの前にいれば…。
初動、
加圧減速に対しての後悔、
滑走の過去への疑念が浮かび上がる。
こちらが挑むはずが、
すっかり腹の中に入れられてしまった。
自分の手足が重い。
体の内側から気がむしり取られて、
力を出せなくなってしまった。
負けである。
この夢のようなものに対して、
自身のありったけを込めたが、届かなかった。
だからといって、
ボードを離すことはしない。
チャンスがなくなっても、
神のような波の上で、
そんなことは意地でもしない。
ヒーローたちの顔。
いなくなってしまったあいつの顔も。
そうだ、これは彼らが乗る波でもあった。
最後までやり通すのは、
最初に決めた約束ごとだ。
この、神々しいまでのものに相対して、
自分はまだまだ小さすぎた。
ワイプ・アウトする瞬間まで、
沈むまで、
飛ばされるまで、
吸い込まれるまで、
巻き上げられるまでは、
できる限りのことをする。
さらに目線を低くした。
無になれ。
無だ。
波の内側は、
単純なる回転運動だ。
陰と陽がまわり、
光と闇も回る。
縁と業も。
そんな達観が飛来していた。
だが、
たいていそんなことは後で思いだすもので、
このときは、
ただ無と現実が明滅していただけだった。
フォーム・ボールだ。
前から来たか。
波先は海面に達すると、
泡状の層をつくる。
波の内側の泡面のことをフォーム・ボールと言う。
これは滑走するものを捕らえて、
からめて、
そして沈める悪魔のような泡面である。
「無表情で引きずり込む」
無慈悲なる泡層(フォーム・ボール)だ。
例えるとすると、
自転車に乗っているときに、
下り坂の路面にある、
泡状の落とし穴を通ることを想像してもらうとわかりやすい。
フォーム・ボールだらけとなり、
アール全面が白くなった。
「ジ・エンド」
ジェイミーは、そう悟ったのかもしれなかった。
このときの唇を誰かが見たのなら、
笑っているように見えたかもしれない。
力を抜いたのは、
ワイプ・アウトに際しての気構えというか、
長年の経験でもあり、
危険が極まったとき、
反射的に行う本能だった。
フォーム・ボールが俺をかっさらうか、
こちらのレイルがいつ沈められるのかはわからない。
ひたすら深く、
狭いアールが小さくなっていく。
後方からウェッジ。
もしかしたらバック・ウォッシュか。
波の中が動き、波面にランプが形成した。
とてもささやかなものだったが、
そのランプに押されるように、
レイルがフォーム・ボールの上に浮いた。
泡面と結合した。
さまざまなことが絡まり合い、
結集して小さな奇跡を起こした。
パイプラインの女神は、
ここで生まれ育った純粋な男に、
小さなかけらのようなチャンスを与えてくれた。
エディ・アイカウが微笑んだのか。
今だ。
体が軽くなった。
ジェイミーはバレルの外にある上部エッジ、
その一点だけを睨んだ。
レイルが波面に咬む。
この状態ならば、
連続して丸まっていくアール傾斜で、
最高速度を生み出せる。
さらに押し出されるような感覚。
これはそうだ。
よし、来るぞ。
来い。
ヴバヴァァン!!
轟音を発しながら、
この妖獣は後ろで果てた。
しこたま散って、全てを吐き出した。
これをスピットと言う。
バレルの出口がない場合は、
上や後ろに吹き上がるが、それらはスピットではない。
ただ、ここまでの巨大なスピットは、
このパイプラインであっても珍しいほど、
壮大なる波の最後だった。
よし、
いいぞ、いけ。
視界ゼロの中、
レイルを維持し、
見えるはずの、
見えてくるはずのバレル・エッジを見ていた。
今のスピットでかなり前に出られただろう。
数メートルは吹っ飛んだだろうか。
これがふたつめの奇跡である。
女神はいるね。
どこだ。
出口のエッジ(縁)はどこだ。
あ、見えた。
波よ、押せ。
倒すように押せ。
吐き出せ。
俺を外に吐き出せ。
視界はまだほぼゼロだったが、
フォーム・ボール状のアールを滑っていた。
この状態を保ち続ける限り沈まない。
けれど、バレルの喉が閉じたら終わりだ。
かみ砕かれて終わる。
ここまで来たのだ。
想いをかなえさせてくれ。
さらに浮かせろ。
もっと浮け。
上に上がれ。
上だ。
上しかない。
俺はこれをメイクするのだ。
出口が見えた。
あそこだ。
もう少し。
あと、少し。
また何も見えなくなった。
見えなきゃむずかしいんだ。
あ、白。
…..。
パッ
光があふれた。
外に弾き出されていた。
意識が戻ってきた。
自分が戻ってきた。
なんという気持ちだろうか。
血液が沸騰し、
細胞が生まれ変わっている。
人生をかけたものに勝ったジェイミーは、
仲間に向かって手を振り上げた。
そして大きく、
右手を振りかざした。
(舞台となった波は、5分26秒から始まります)
◎