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【サーフィン研究所特大号】全体主義への圧力を感じて一筆_(2854文字)

タヌットとタヌ氏。

噂ではというか、

みんな知っていることだけど、

タヌ氏は、

ずいぶん昔にタヌ星から地球へやってきたタヌ星人だ。

不時着した際に宇宙船が壊れてしまい、

それからは浦ノ内湾で生活している。

(巻末リンクを参照ください)

タヌ氏は、

地球の神仏を尊み(たっとみ)、

お不動さんにはかけつけ、

人の悪口を言わず(たまに破る)

ムカデ油製法に長け、

またたび酒を愛し、

またそれらの民間自然療法を熟知している。

これではまるで『暮らしの手帖』の編集長のようであり、

アウトドアマガジン別冊

『非常食:なんでも食べる号』の重要講師でもあるようだ。

地球での名前は、

タヌーマンとつけられ、

タヌ氏とも表記される。

私はもちろん、

多くの人が彼のことを大好きなのだが、

聞こえてくる評判は良くない。

よく聞くと、

約束を守らない

食事をたかる

人をだます(化かす)

よそもの

変な車に乗っている

変なファッションをしている

変なサーフボードで波乗りをしている

変なサーフィンをしている

という8色展開だった。

変なファッションを欠点とされ、

さらに

「変なサーフボードに乗っている」

「変なサーフィン」

とあるが、

なぜこれが悪口になるかというと、

一億総適正浮力崇拝主義者たちからの反動だからだ。

変なサーフボードというのは、

「先が丸くて、

白くなく、適正浮力でないもの」

だと言うが、

これではまるで一休さんのトンチのようだ。

このことで、

私も言われなき中傷を受けてきた。

私やタヌ氏のそんな悪口というか、

かげ口を聞いた先輩サーファー(尊敬できる方)が、

「いまの日本は、平和な北朝鮮や。気にせんとき」

そんなことをそっと教えてくれた。

浮力が違うだけでかげ口を叩かれ、

材質が違うだけで嫌われてきたので、

これはタヌくんに加担したいと、

「くぬぬぬ〜」

マジンガーのように立ち上がるも、

(これはロビンマスク)

.

仲間に

「おまいさん、やめておきなさい、

タヌ星のことは治外法権になるから、時間の無駄ですよ」

まるで落語のお花のセリフのようにはっきりと、

やさしく、

わかりやすい口調で説いてくれたので、

タヌ氏に加担してはいない。

(落語については巻末リンク*3を参照ください)

だが、

「違うものという美学」

というものが、

この世にはたくさんあるのではないだろうか。

もし違っていても、

自分に利害関係がなければそれを寛容するのが、

学びであり、

喜びであり、

結果、

それらが人の品格となっていくはずだ。

どうして寛容できないのか、

されないのかを考えてみた。

まずは幼児教育に発端があり、

お昼のサイレンも同様に洗脳教育だと気づいた。

あまり書くと、

当局に目を付けられて拉致されてしまうだろう。

そうすると、

嘉徳海岸の愚岸工事反対も叫べなくなり、

コーヒーの新(真、信、深、心、芯、進、神)フレーバーも開発できないし、

数々の楽曲も聴けず、

夢波にも乗れなくなる。

話は逸れまくったが、

カットバックで本題にリ・エントリーすると、

『一億総適正浮力崇拝教育』

はすでになされている、

現在も実行されていますぞと、

さきほども書いた。

ちょうどバリの天才高間教授から連絡が来た。

「あのバレルはどうなっているのか?」

数日前にブログに掲載した画像の質問だったが、

「それはカレンダーにて説明されています。

少しお待ちください」

そうお答えすると、

「おもしろいテストがあります」

そうやってやってきたものがこれだ。

問:

ここにある文字群を読んで、

自分の気持ちを100%に振り分けて、

どっちが好きか、

またはどちらが苦手かを数値化してください

例:ムカデ

回答例:好き15%/苦手50%

残りの35%はどちらでもないとする。

問1.

「学校指定と違うランドセル」

好き %/苦手 %

問2.

「違う色の上履きと体操着を着ているクラスメイト」

好き %/苦手 %

問3.

「自分と違う浮力率のサーフボードに乗っている人」

好き %/苦手 %

こんなことではあるまいか。

確かに浮力があるボードで波を取りまくっている人はいる。

部原でも見たし、

ブルードラゴンでも見た。

それはマナーやエチケットなので、

浮力がある=(イコール)波を取りすぎることはないことは明白だ。

人間としての資質だったり、

「人を思いやる気持ち」

という教育を受けていない人たちなのだ。

いろいろあるので仕方がありません。

これではまるで法王のセリフだが、

適正浮力で波を取りまくる某国のプロたちもいて、

メンタワイやコスタリカで遭遇すると、

他者に余す波は一切ないという非情なセッションとなる。

聞いてみると、

「彼の国では生きるか死ぬかで生きているので、

波取りに命をかけるのは当然だ」

そんなことらしい。

ルールというものがある。

これは社会生活としては必須であり、

さまざまなものの最適化を計るものなのだが、

それを飛び越えて、

自分たちの色だったり、

大きさや姿形が正しいと思って、

それだけを信じて(多数派というのもポイントである)、

思想やアート、

スタイルへと斬り込んでくるのが、

冒頭に書いたタヌ氏や私たちへの弾圧だろう。

「相手の過失に強い怒りを感じ、

完膚なきまでに叩きのめさずにはいられない——。

これは『正義中毒』という依存症状だと、

脳科学者の中野信子さんが話していました」

そう河合和尚がおっしゃっていたことを思いだした。

(巻末リンク*4を参照ください)

「正しくないものに鉄槌を下す」

そんなこと警察だってしない。

そんな正義暴力だか、

正義中毒の愚かさは、

コロナ禍で自粛警察だか、

勝手に警察以上の権限を持ち、

意識がある人が懲らしめられたたくさんのケースを見ただろう。

あおり運転も同様。

自分たちのように走れないのなら正してやる。

そんなことだろう。

さて、

「視界に入る全員が、自分たちのグループに参加すべき」

そんな生活を推奨する人たちにとって、

「違うもの」というのは、

食料棚にいるゴキブリくらい排除したくなるようで、

ひどい目に遭うことになる。

こんなことなら、

「コンスーマーにまぎれよう」

頭脳プレイをすることになり、

有名ブランドのウエットスーツを着て、

同じく有名ブランドのボードを持ち、

もちろん適正浮力にして、

流行りの服を着て、

流行の歌を聴いて、

話題の店で食べることにするのだが、

流行りの服は買えないし、

流行曲を聴き続けるのは不快である。

適正浮力ボードで、

あの緩く小さい波に乗るのも、

ちょっとした罰のように感じる。

で、

結局は、

嫌われてもいい。

違うもの、

「自分が良いもの」

そんな美学を持って今日も生きることにしているのだ。

さらば全体主義。

さらばTVヒーロー。

点数なんていらねえ。

アロハ・デューク・カハナモク!

(波紋を起こしつつ終わる)

【巻末リンク:宇宙人だったのかタヌーマン】

【巻末リンク*2:タヌーマンが地球にやってきた日】

【ドラグラ・プロダクションズ】タヌ氏の任務_(2746文字)

【巻末リンク*3:そのお花が登場する古典落語】

【日本の伝統芸能シリーズ】落語『夢の中の酒』_(3838文字)

【巻末リンク*4:正義中毒について】

【サーフィン研究所】アニー画伯_カウアイ島とスカシー広告の爽やかさ_正義中毒強まる!?_(959文字)

【巻末リンク*5:太極について】

【サーフィン研究所】タイラー・ウォーレンの言葉_バレル波の名称について_八卦と太極「δρακων ουροβóρος(ドラコーン・ウーロボロス)について_(1386文字)

Happy Surfing and Happy Lifestyle!!