Sting 1973 Ben Aipa / Hiroyuki Maeda
6’2″ x 21″ x 2-1/2″
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三島由紀夫が、
川端康成の『伊豆の踊子』の感想として、
「純粋に選択され限定され定着され晶化された資質の、
拡大と応用と敷衍(ふえん)の運動の軌跡」
と解説文として書いていた。
(サーフボードについては巻末リンクを参照ください)
これでは埴谷雄高並に難解だが、
三島は川端の弟分であり、
「ふえん」は、
この場合「増加」という意味なので、
「(川端康成の書いた)キャラクターや設定が良く、
内容が『晶』=明かで、
物語はさらにさらにと拡がっていく」
そう書けばいいのに、
やはり文学狂いの三島青年は、
そうは書けなかったというのが実情だろうか。
(〈伊豆の踊子〉は、三島が1歳のときに発表されている)
もっと書くと、
大正〜昭和初期というのは、
主要メディアが本だったため、
文学は現在で言うとTVで、
インターネットでもあり、
または映画、
ポッドキャスト、
ゲーム、
レジャーの全てを担(にな)っていた時代の、
名作であり、
それは結実することのない連続するドラマだ。
もし私が95年前に生きていたら、
この『伊豆の踊子』をどのように読んだのだろうか。
1926年にこの作品をはじめて掲載した〈文藝時代〉へ、
川端康成は『文壇的文学論』でこんな文章をよせていた。
「新しい時代の文芸は、
哲学と結びついて古代からの宗教になるべきだと私は考えている」
(現代語に意訳しました)
黒潮町の名店『まるや』のターボーくんが来るまで、
私はそんなことを考えていた。
動画全盛となり、
文学がすたれていくが、
これも悪い気持ちではない。
スマグリはんは、
このシックスエイトをいたく気に入り、
そして私は有名なカツ丼を食すことになった。
(このサーフボードについては巻末リンク*3を参照ください)
いただいてみると、
「このカツ丼がおいしい」
という評判との違いに放心してしまうほど普通のカツ丼で、
ずっと楽しみにしてきた身としてはちょっぴり驚かされた。
これなら「あるね屋」のカツ丼にすれば良かったと、
満月を見上げつつ、
心からそう思ったのだった。
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【巻末リンク:タキビ神の説法続編】
【巻末リンク*2:1973年のサーフボード】
【巻末リンク*3:シックスエイトのレットイットビー】
Happy Surfing and Happy Summer!!
◎