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サーフフィック・ジェネレーション _[Blue.誌93号 / 2022/1月号巻頭コラムより]_(1648文字)

来た。

巨大な水の壁だ。

水壁は、

あっという間に目の前にやってきて、

てっぺんをこちらに向けて落としてきた。

私はたまらずにサーフボードから降りて、

底まで届くように深く潜っていった。

頭上で起きたものは爆発そのもので、

そう感じた瞬間に衝撃のような激流に吸い込まれていった。

サーフィンとは波に乗るものであるが、

たいていはこういうプレ・サーフィンがある。

プレ・サーフィンとは、

準備期間というステージだ。

突然やってくる大波のことを〈オバケ〉と呼ぶ人もいるが、

私の稿には〈魔波、魔獣波〉と書いている。

とにかく猛列なのだ。

波は諸行無常の象徴であり、

それに勝るものはどこにもない。

自分はとてもちっぽけで、

塵以下の存在だと何度感じたことだろうか。

それからは、

怖さよりも楽しく感じられるならば、

パドルアウトしてきた。

サーフ思想はボヘミアン主義でありつつ、

れっきとした個人主義の極みだ。

思想だけではない。

武術系の修練が求められる。

例えば、

冒頭に書いたようなことだ。

波に向かうことは自発的であり、

創造性を追求し、

その極みは精神世界の扉を示す。

この精神世界の個人主義たちを抑圧するのは全体主義者たちだ。

しかも善意や正論を前面に持ってくる。

そして私は全体主義を恐れるという図式が人生の後半から続いている。

そらは晴れ渡って、

オバケ波や魔獣波は遠くに去った。

いわゆる腰胸程度の無風コンディションだ。

この世界にはたまらないほどの魅力がある。

多くの人が海遊びのすばらしさに気づき、

さらには、

海岸に必要のない護岸や消波ブロックに気づいて欲しい。

それが海の、元々の姿への回復となるのだ。

そのような明るい未来を願っていると、

大手有名アウトドア・ブランドのジャケットを着た人がやってきて、

「他県ナンバーの人はここでサーフィンしてはいけません」

続けて、

「こんなことは言いたくないんだけど、

コロナだからごめんね。

オミクロンだし、

支部もそう言っているんだ」

そんなことを真面目な顔で言いつつ、

困った顔でこちらを見た。

そうは言うが、

サーフィンでコロナに感染すると本気で思っているのだろうか?

兵隊というか、

思考停止状態の正義警察の一員は、

正論に聞こえるようにTVやメディアで得た情報を後ろ盾に、

さらには善意というものをちらつかせてこちらにやってくる。

たいていは全体主義への招聘か、

または他人をプチ恫喝する快感というのが趣味の、

さほど内容がないものばかりだ。

そんな虚偽と不安に満ちた唯物的社会から脱出すべく、

サーフィンを始めたのに、

こちらも規制ばかりで驚かされている。

波を滑走する世界は冒険であり、

スピリチュアル世界の探究だ。

誰にでも公平な波は、

西洋と東洋の宗教の違いですら融合させ、

経済的物質主義を再考するチャンスに恵まれる。

波に乗ることで自身の成長を〈希求〉させつつ、

〈死〉を予見し、

さまざまに葛藤する感情を抑制することで〈無〉を知った。

太陽と月、

星と雲。

風と雨、

海と大地。

大気と液体。

陰と陽という森羅万象を知ることで

〈真の思想〉への回帰が始まる。

〈波に乗る〉

という行為にこれほどまでの大義思想を感じるのは、

摂理を体験することで魂の追求がはじまったからだろう。

繰り返すが、

最近どこでもよく見かける

「お願い〜」、

「ご理解下さい」と、

冒頭末尾に付ける呪文から始まる

〈規則〉とは遠く離れたものでありましょう。

よって私は口頭、

記述、

撮影、

あらゆる方法によって、

波に乗ることで海遊びから芽生える

〈幸福な〉思考を表現しようとしている。

だが、

全体主義者たちによる監視によって、

〈モダニズム〉、

〈ロマン主義〉

というダイナミックさが失いはじめたので、

来たるべくジェネレーションに向けて書き続ける。

タイトルの〈Surfific〉とは、

サーフィン(surfing)と、

幸福に輝く(beatific)のつづりを総合したもので、

ハッピーサーフィンへの願いをこの稿にしたためた。

全ての人が幸せいっぱいに波に乗れますように。

Happy Holidays!!

(了、2021/12/09)