冷やし中華の季節がやってきた。
人生で1番好きなのは、
小学生のときに食べた「北海屋」の冷やし中華だ。
北海道由来なのか、
缶詰のコーンがこれでもかというほど入っていて、
固ゆで玉子の黄身を多めのツユに溶かして食べてから、
(昭和50年頃の話だから煮卵なんか存在しない)
冷やし中華にゆで卵が付いていると47年経ったいまも同じことをしている。
カリフォルニア州のカツ丼の一例
.
スーパーやコンビニの冷やし中華とカツ丼が好きなのは、
ちょっとまずくて、
そのまずい味にひそかな愉しみを持っているからだ。
先日、
イオン系のスーパー・マーケットで購入した冷やし中華はまずすぎて、
なぜか昭和給食マーガリンの合成ぽい味が蘇ってきた。
味覚というのは不思議だ。
冷やし中華の季節となると、
Tシャツとトランクスだけのサーフセッションが存在する。
昨日がまさにそんな日で、
麗らかなそらの下、
いつまでもその海の揺れみたいな、
ふくらみに乗っていった。
さて、閑話休題。
私はたいてい1時か2時に起床し、
お昼ごろまで一気に執筆や写真作業やデザインをしている。
波次第だが、
夕方までみっしりと作業するときもあるし、
または夜明けまで作業して、
サーフ後の空いている時間は図書館で作業している。
四万十図書館が秀逸なのは、
Wi-Fi環境にあることと、
サインアップすれば電源も供給してくれる。
しかも図書館なので「書きもの」の情報はたいていそろっている。
最近大流行のスマグリはんこと、
スマイリー・グリズリーも夜明けから、
ときには休みつつ、
ずっと波に乗っていた。
スマグリはんの場合は夜勤であるので、
夜半に出勤し、
夜明けごろに終業して海に来ているのであった。
それにしてもすばらしいターンをしている。
こうしてしっかりとテイルを踏んでレイルワークさせるというのは、
見た目はかんたんだが、
実際にできるサーファーは多くない。
先日もここで紹介した北山耕平さんの宝島だが、
1975年に糸井重里さんはここに
『チューサン階級のトモ」を媒介として寄稿していた。
この年は、
『かもめのジョナサン』が日本に紹介された瞬間であるが、
引用してみると、
糸井さんはその冷やし中華頃にこんなことを書いていた。
“細野晴臣らの、「はっぴいえんど」「ティンパンアレイ」等の活動は、
方向性から解き放たれ、不安と共に逃走し続けた痛快な一例である”
細野さん一派は、
いまだに魂の巡業を続けているのだが、
この「はっぴいえんど」には大瀧詠一さんや、
松本隆さんがいて、
ティンパンのその後には忌野清志郎さんや矢野顕子さん、
大滝さん系では山下達郎さんという彗星を産みだした。
松本隆さんは、
松田聖子さんや薬師丸ひろ子さんたちの作詞を手がけ、
いわゆる「ネオ歌謡曲」の礎を作った人だ。
松本さんはどこかのインタビューでこんなことを語っていた。
「僕がドラムを叩くとはっぴいえんどで、
林立夫が叩くとティン・パン・アレー、
ユキヒロ(高橋幸宏)が叩けばYMO。
全部細野さんの音なのに」
とすると、
その昔からその世界では、
細野さんがメインだったとわかる。
YMO時代は中学生だったので、
坂本龍一さんのものだと思っていたが、
細野さんが坂本さんと高橋さんに声をかけて、
あのテクノサウンドが始まったと知って驚いた。
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【巻末リンク:先日紹介した『宝島』のこと】
【巻末リンク*2:師範たち】
【巻末リンク*3:アメリカのおいしいもの】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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