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【お祝い&歴史編】ロースカ(サーファーズ)24周年記念パーティと、昭和25年ごろの昔話いろいろ_(2626文字)

昨日はロースカこと、

ザ・ロード・アンド・ザ・スカイの、

24周年記念パーティが逗子サーファーズであった。

ロースカは休業中であるが、

サーファーズの前身である。

両方のお店のリーダー、

オカシラは成瀬さんである。

成瀬さんと初めて会ったのは、

1983年ごろの峰ヶ原だ。

当時の彼は、

鎌倉市腰越3丁目に住み、

私にロックンロールとアメリカを教えてくれつつ、

さまざまなことを助けてくれた。

先日ここに書いたスティーブ・リズをリアルタイムで知る数少ないサーファーだ。

(巻末リンク*3を参照ください)

それから40年が経過し、

成瀬さんはご自身のビジネスを成功された。

今日も創業時からのスタッフたちが大勢やってきて、

ボランティアでさまざまなサポートをしていたことに感激してしまった。

これもひとえに成瀬さんのお人柄であり、

私も含めてそのことは誰も否定できない事実だ。

この成穂(なるほ)くんもロースカOBの一人で、

昨日はミキサー役をかって出て、

すばらしい音作りをしていた。

彼は横浜野毛で、

AFRO TACOS!!という本格的なメキシカン・フード屋をやっているので、

今度ぜひ行ってみようと思っている。

このナルホくんに、

私たちが始めるヘルシー・ジャンク・フーズの質問、

例えばトルティーヤのことを聞くと、

明快な答えが返ってきた。

うれしくなった私は、

テキーラ&メスカルへと話をふると、

ナルホくんはソムリエでもあり、

日本酒のお店も経営しているという。

私の知りたい食べものに関しても超豊富な知識量で、

まるで大学の人気講義を早回しで受けているような気持ちとなった。

あとでロースカOBの人とその話題になったとき、

「ナルホは天才以上に頭がいいからな〜」

やはりそんなことだった。

サーファーズ・ジャーナル誌編集長の井沢さんがやってきて、

ステージに立つやいなや、

軽快なロックンロールを奏で、

そして歌われていた。

とても感嘆したので、

「井沢さんは、

いきなり音とか声とかが出るんですね」

ステージ後にそう聞いてみると、

「まったく大丈夫だよ」

いたって普通に答えてくれた。

ガラさんがやってくると、

大人気で、

まるでエルビス・プレスリーか、

ラカ法王かという絵となった。

ステージ後の井沢さんは、

アーバンの白シャツを着ていらして、

私もこれを持っているのでうれしくなった。

アロハシャツは、

ジョージ・カックルさんで、

「寒くないですか?」

そう聞くと、

「寒いと思わなければ寒くないんだよ」

そんなことだった。

キンちゃんは野球好きをアピールしたく、

ヤンキースのジャケットを着てこられたが、

背中に書いてあるゲーリックを読めず、

「これってなんて書いてあるの?」

そんなことを聞かれた。

まるでドドゲ方式のようだ。(笑)

私の後ろは花井くんで、

アーティストとして大活躍するロースカ創世時のメンバーである。

ちなみにこの私ロゴは、

ハナイ画伯作なのも、

成瀬さんのご縁のおかげである。

空に上るロードと、

ハナイ画伯が手がけたスカイウォーカーという絵柄が重なった。

そして横山泰介さんと西岡さんのアートも交錯し、

これも成瀬さん効果なのかと感じ入った。

赤いフーディの別府さんは、

グレイトサーファーであり、

ハッピーサーフィンのことを気にかけてくださっている。

ブバラカはもちろん、

私たちが大好きなハマムラにもとても詳しく、

1970年代の波質とか、

これからやってくる春の地形にも詳しかった。

白ワインを持たれた方は横山泰介さんで、

彼こそが、

私たちダメヤングに文化と品を教えてくれた教祖兼老師だ。

今年80歳になられるガラさんは、

「なんだよ。最近波がないねぇ〜」

葉山弁でやってきて、

今度千葉に波乗りに来てくださるという。

「昔はさ、滑川にも道がなくてさ、

オンボロの細い橋があってね、

こうバランスを取りながらさ、

カワムコウ(坂の下)に行くんだよ」

車という存在がなかった時代のことを教えてくださった。

「あの頃はさ、給料が月に1万円くらいで、

俺はいろんなことができるからね、

人より多くって1万7000円ももらっていたんだよ。

けどね、アメリカ兵は下っ端でも8万円とかもらっているんだよ。

だからあいつらはやたらとリッチだったね〜。

俺の親父が米軍基地で働いていたからね。

そいつらの車を使えるんだよ。

ガソリンは1リッター50円だからね、

すげぇカネモチしかガソリンが入れらねぇんだよ。

うどんが一杯15円の時代だよ。

米一升(1.5kg)が60円だったね。

でもさ、

車があったってね、

ガソリンが入れられないから海に行けないんだよ。

それでね、粗悪ガソリンをさ、

一斗缶(18リットル)で200円だったかな、

みんなで集めてそれを入れて行くんだけど、

悪いガソリンだからね、

キャブ(レーター)が壊れちゃって大変だったよ〜」

噂によると、

ガラさんは年齢を詐称されていて、

じつは180歳だとも聞こえてきた。

なるほど、

和賀江島(わかえしま)の築港工事(1232年)に関わっていたとも噂があるので、

それじゃぁさ、

ガラさんは800歳以上になるよなと、

岸さんと大野さんがおっしゃっていて、

ケンちゃん(腰添さん)が、

「そんなわけがない!」

そう言って目をつりあげられていたが、

「まあまあ」と瀧朗になだめられていた。(笑)

宴もたけなわとなり、

成瀬さんの感動的なスピーチがあった。

ちなみに上の画像には、

ロースカ創世時の看板が写っている。

お昼から始まったパーティは、

日没ごろが終了時間。

波がほとんどない日だった。

瀧朗が成瀬さん夫妻写真を撮り、

私はそれを撮った。

奥さんの小百合さんは、

ロースカ陰のMVPであるのだ。

最後にヌマさんこと沼田さんが、

私と瀧朗を鎌倉裏駅まで送ってくれた。

葉山一色(はやま・いっしき)のヌマさんは、

いまは鎌倉山に住まわれているという。

ガラさんが、

この海岸の道はさ、

昔なかったんだよなと教えてくれたので、

それをヌマさんに言うと、

「俺たちのころは有料道路だったんだよ。

ナギサバシ(逗子、渚橋。サーファーズの手前)から、

ナメリガワ(鎌倉、滑川)まで30円、

あれ、10円だったかな?

昭和31年に開通したんだよ」

67年前のことを思い出されていた。

その時代にも波は立っていたはずで、

とすると誰もおらず、

無人のブレイクが拡がっていたのだろう。

【巻末リンク:サーファーズ新作プリン】

【サーフィン研究所】逗子サーファーズ岬の奇跡プリン_(1693文字)

【巻末リンク*2:泰介さん】

【サーフィン研究所特大号】サーファーズの奇縁と横山泰介さんとの38年間_(1926文字)

【巻末リンク*3:成瀬さん世代のサーフボード】

【サーフィン研究所:立春特大号】コスモス・サーフボード『サンディエゴ・フィッシュ』本当の歴史_(3088文字)

Happy Surfing and  Happy Lifestyles!!