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【サーフィン研究所】スタイル・マスター別府さんと房州弁のすばらしさ_(1477文字)

サーファーズ岬の別府さんは、

元ブバラカのうんならかしリッパーだったとは、

まだ書いていなかった。

千葉で別府さんは、

「うんならかしwithスタイル」として、

いまもその名を知られているお人だ。

「うんならかし」とは、

千葉の言葉『房州弁』だ。

「うんならがす」とも書く。

このことを説明すると、

「張り切る、がんばる」というのが大意。

サーフィンの場合は、

「ものすごく早く進ませる」

という『乗りもの系』のうんならかしだ。

語尾が「がし」なのか、

「かし」なのかは、

レース場あたりに行けば、

ネイティブの発音を多く聞けるので、

その人が生まれ育った地域を知ることができる優れ方言だ。

あなたは、

ブバラカあたりで

ものすごいオフザリップをするとする。

すると、

「あんだおー、
にし おんもりうんならがしたおー」

地元の人にこんな風に言われるだろう。

(房州弁協力:勝浦市石井酒店)

各部の単語を解説してみる。

「あんだ」=なんだ
「おー」語尾句
「にし」=あなた
「おんもり」=たっぷり
「うんならがした」=すごかった

となるのである。

房州弁も他の方言と同じように、

語感が地域変化して、

そのまま使用されている。

逆に言うと、

それらが細分化できるほど、

変化が多岐にわたっている。

房州弁には、

「おじくそ」

という言葉がある。

「怖がり」とか、

「意気地なし」を指す言葉だが、

どうやら房州北端の銚子言葉であるらしい。

これが南房総までやってくると、

「おびくそ」に変化する。

私は母が房州弁ネィティブだ。

ラーズ・ヌートバーのペッパーミルと書いておけば、

WBCラバーならわかるだろうか。

WBCでなければ、

房州ハーフなので、

房州弁少しデキマスということだ。

話を戻すと、

房州(千葉)は、

江戸(東京)と隣接している。

房州弁は、

ちょっとしたシークレットとされているのは、

土佐弁と違って、

「千葉弁をバラすな」

そんなことが背景にあるのだろうか。

房州弁を話す人たちは、

普段はきれいな標準語で話している。

これは自然側の千葉から見た東京への憧憬が、

自分も含めた地域の自信を失わせているのだと私は仮定した。

例えば、

村上様で知られる村上くんが、

大谷翔平くんの生バッティングは、

自身が培ってきたメカニズムを狂わせるほどのショックがあって、

そしてそれを消化しながら今日になったのだと私は見ている。

それと似た構図が、

この千葉から見た東京への関係性にあるようだ。

村上がプライベート(千葉)で、

大谷がメガ(東京)だ。

どちらも正しく、

メガはメガなりの苦悩がある。

プライベートは、

まだ見ぬ世界に憧れ、

そして畏怖する。

DNAは深い。

房州弁の話はここで終わり、

別府さんのスタイルに話を戻す。

1980年代のサーファーは、

1970年代のサーファーのスタイルを引き継いた。

ある人は、

リノ・アベリラであり、

またはジェリー・ロペスだったのだろうし、

そこから派生してラリー・バートルマンとか、

思想的にひねってウェイン・リンチとか、

ジョージ・グリーノウという造形派もいただろう。

その中で、

「スタイルが突出していた」というサーファーは、

指で数えられるほどしかいなかったはずだ。

別府さんは、

その40年前の彼のイメージと、

いまのお姿が何も変わらない驚きもある。

すると別府さんは、

葉山のガラさんのように180歳だか、

800歳なのだろうか。

いつまでもハッピーサーフィンを続けてくださいね。

【巻末リンク:昭和30年代の肉声】

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Happy Surfing and  Happy Lifestyles!!