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【サーフィン研究所渾身特大号】コスモス・サーフボードの由来と現在地_(2836文字)

なにをやっても続かない私がサーフィンに出会い、

夢中になったまま40年が過ぎた。

私には、

夢がいろいろとある。

「夢みたいに波に乗れるサーフボードを創りたい」

これもそのひとつだ。

「夢みたい」とは、

抽象的だが、

以前スーパーカーを運転したときに

「意のままに操れる」

と感じたことがある。

こんな超カー、

たとえばフェラーリとかランボルギーニ、

ポルシェのようでいて、

意のままに操れるサーフボードが欲しいという夢を持っていた。

サンクレメンテに住んでいたので、

業界で一流とか、

天才シェイパーを見つけると、

なんとか私の夢想というか希望を伝え、

それを各人がデザインし、

サーフボードをシェイプしてもらっていた。

もちろんそれがモデルとなったり、

弊社や他社製品となっていったが、

ビジネスという観点もあり、

夢のボードは、

どうしてもベストセラーとか人気モデルとか、

コンテスト、

そして主流に寄ったものになっていった。

具体的に書くと、

「適正浮力系」というサーフボードになった。

けれどその後、

私は、

適正浮力というものに嫌気がさしてしまったのだ。

適正浮力とはよく聞くが、

ケリー・スレーターが台頭すると、

そのあたりのサーファーをひっくるめて

「ニュースクール」と定義された。

例えば、

日本人と体型が似ているシェーン・ドリアンは、

いったいどんなサイズのボードに乗っているのか?

そんな観点によって内容が展開されていった。

いつしかこの浮力は、

サーフメディアの定番特集となり、

その後サーフボード業界の指針となった。

シェイプマシンの登場で、

サーフボード・スペックには体積が出現した。

しかも小数点以下でも求められるように正確である。

もともと私は、

適正浮力という決めごとや数値は好きではなかった。

「そのボードを持って脇に抱えて、

波待ちのときの浮きで浮力を知る」

というマニュアル感覚派であり、

しかしその適正浮力は、

プロフェッショナル、

または高いレベルのサーファーが、

クリティカルなターンをするためは重要だった。

でないと、

あんなリップの切っ先にボードを引っかけたり、

レイルを切り返したりするのはむずかしかった。

その適正浮力のボードは、

ターンやダックダイブは楽だが、

浮かない=沈むので、

テイクオフとパドリングが遅く、

波によってはやたらともどかしく、

これによって「波乗り」という大変自由で、

すばらしい行為のたいていは、

波を待ちつつもイライラしていた。

なんとか波に乗ってそのイライラを解消し、

また乗れずにイライラしての繰り返しだった。

でもその後、

ボードサイズを大きくすると、

狙った波に乗れるようになり、

イライラが解決していった。

話が長くなったので、

ここで一度まとめたい。

あまのじゃくだったり、

人気を追いかけるのが苦手な私は、

その主流であるコンテストとか、

適正浮力計算式の反対側に向かった。

いわゆる逆、

または反極を目指そうと引き返したのだ。

すると、

そちら側にはジョエル・チューダーがいて、

タイラー・ウォーレンやクリスチャン・ワックが正式に登場し、

こちらにも適正浮力やコンテストと同等な水平線があるとわかった。

しかしピナクルというか、

ご存じのようにそれは全体派ではないので、

人口というか、

市民は極端に少なかった。

けれど、

彼らは伝統的なサーフィンの作法を示し、

それが正しいことだと私に深く教えてくれたのだ。

それからの私は、

そのジョエルやタイラーたちが頑(かたく)なに持つ

「伝統的なものだけ」

ということに敬意を示しつつ、

ミニ・ノーズライダーだとか、

トラッカーというクラシック・シングルフィンに乗りつつも、

キャッチサーフのカラニ・ロブが提唱する

「サーフィンは海遊びで、それをいかに楽しくするか」

という流派も取り入れて、

自分なりのサーフィン世界を構築してきた。

コスモス・サーフボード

ご存じのようにとってもマイナーであるが、

上記したようにその全体とか、

マス、

または少数派の輝きを封じ込めたサーフボード・ブランドだ。

理念は、

「夢想ボード」を具現化し続けるというもので、

原則的に歴史を崇拝し、

究極なるミニマリズムを思想とする。

15年ほど前から

「未来のフィッシュ」という想像があった。

サンクレメンテでもその夢想が続き、

いくつかの名作があったが、

完全型ではなかった。

日本にやってきて、

千葉あたりで耳を立てていると、

ハンドシェイプ達人
コンピューター・シェイプのオタク

そんな両取りシェイパーがいるという。

前田博士だった。

私は彼とサンクレメンテ時代に交流があったので、

すかさずサーフボードの夢を語ると、

1オペなのでとても忙しい身だが、

型取りのマスターモデル制作なら引き受けましょうということになった。

そして、

ゆっくりとした創造が始まり、

おそろしいほどのポテンシャルを持ったボードが誕生した。

このエウレカと名付けられたフィッシュの走りがすばらしく、

フィン位置も含めて完全系だったので、

超ボードを各サイズで展開すべく、

プロダクション(=型取り)

クローン・ボードの生産に向けて始動した。

けれど、

プロダクション工場の

「1本からでも制作します」

という打診を鵜呑みにしていて、

いざ作ろうとすると、

相場価格にするためには、

なんと数百本もオーダーしないとならなかった。

資金的に無理である。

けれど、

私はその超絶フィッシュに気をよくして、

博士との深い交流が始まった。

数々のサーフボードの歴史を伝えると、

純粋な博士は50年も前のボードデザインに興味を示すだけでなく、

完全コピーを作って、

『博物館シリーズ』が展開された。

ボンザー1971

ボンザー1973

スティング1973

サンディエゴ・フィッシュ

の歴史が掘り起こされて具現化していった。

それと平行して、

究極のボードを作ろうと、

ザ・ワンが68サイズで登場して、

夢のボードを手にすることで人生は変わった。

Cosmos Surfboards TheOne 6’8″

.

さらに波の内側に入るべく、

68を少し短くして64となった。

これが人生で一番のマジックボードになった。

夢は見てみるものだと改めて感じたのだ。

Cosmos Surfboards TheOne 6’4”

Original Twin-Fins

.

ザ・ワンは強いので、

大きな波でも壊れず、

そして意のままに操れる。

けれど、

小波や弱波はどうする?

(車内に収まるので)

これまではキャッチサーフの86を乗っていたが、

8フィートのザ・ワンのような究極系を博士に依頼すると、

このクラシックが創造されてきた。

明日はこのクラシックのことを書いてみる。

スクエアテイルと細身の長いレイルラインがここまで波に機能するとは、

乗ってみるまでは何もわからなかった。

【巻末リンク:クラシックまでの由来】

【サーフィン研究所渾身号】Blue.の赤_波に乗る重い物体とエンスーラボ・エナジー_(1459文字)

【巻末リンク*2:博士の研究所=エンスーラボ】

【サーフィン研究所】イリエの光る波_パイプラインのエンスーラボ_(1116文字)

【巻末リンク*3:エンスー濃度とは?】

【サーフィン研究所】宇宙人空海と前田博士のエンスー濃度_ジュクオンと新版画の協奏について_(1044文字)

Happy Surfing and  Happy Lifestyles!!