Cosmos Surfboards TheOne 6’4”
Cosmos Original Twin Fin
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どうやらピンボケだが、
言いたいことは伝わるだろう。
昭和のころはカメラの性能が悪かったので、
私のような子どもが、
フォーカスリングを理解せずに撮ると、
こんなものばかりだった。
当時はフィルムしかなかったので、
撮るにはコストもかかった。
昭和51年(1976)にオートフォーカス、
シャッタースピード優先、
さまざまが自動化されたカメラAE-1が発売された。
それから三年後にオートボーイというカメラが発売されたが、
私は『オリンパスペンEE-3』というハーフサイズのカメラを手にしていた。
「固定焦点4m」
「シャッタースピードは2種類のみ」
「露出不良の際はシャッターが切れない」
そんな機能が付いていた。
具体的には、
露出が明るすぎたり、
暗すぎると、
赤棒(もちろんデジタルではない)がファインダーに出る仕組みだった。
よって電池もいらず、
カメラとフィルムさえあれば、
フィルム指定コマの倍数が撮れた。
いいなぁ。
この時代のすばらしさを書きたかったのだ。
昭和51年は携帯もない、
もちろんパーソナル・コンピューターもない。
電車に乗るには切符が必要で、
食べものを運ぶのは、
デリバリーでなく出前だった。
一枚のピンボケ写真が、
私の心を50年前に連れてきてくれた。
カーペンターズ、
ジョン・レノン、
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ、
沢田研二に山口百恵、
寅さんにトラック野郎、
そんなすばらしい時代だった。
スカシーこと、
スカイアンドシー・ムロトも参加したマグロック。
大盛況だったらしく、
高知新聞の板垣さんがこんなアツい記事を書き、
ボルテージが上がった。
現代というか現在に戻ると、
数日前に氾濫の危機にあった一宮川は、
何事もなかったかのように静かに流れている。
諸行無常ですと、
タキビ神が言っていたことを思い出した。
私は冷やし中華が好きで、
少し前は中華三昧の涼麺を見ると、
欲しくてふるえていた。
これは、
アメリカ時代にヤオハンでこの冷やしが廉価で売っていたので、
いわゆる中毒になってしまったのだ。
よって私のジャンクフード御三家は、
マクドナルドのハンバーガー(クラシックのね)、
𠮷野家の牛丼、
そしてこの中華三昧のヒヤシが挙げられるだろうか。
おかげで冷やし中華全体を好きになり、
いわゆる*まずい冷やし中華も含めて喜ばしくいただいている。
(*真空ソフト麺、濃く酸っぱすぎるタレ、ケミカルな味のハム入り)
これはラーメン屋さんで食べたものだが、
いわゆるまずい部類に入るもので、
けれど、
やはりおいしいおいしいと言って食べ、
いまこの画像を見ると、
あまりおいしそうではないのだが、
冒頭の写真のように50年前の気分であれば、
とても感動的なものだったのだろう。
昭和50年(1975)に『全国冷し中華愛好会』なるものが発足し、
そのメンバーは赤塚不二夫に南伸坊、
坂田明や黒鉄ヒロシ、
山下洋輔にタモリという錚々(そうそう)たるものだった。
昭和というか、
あの時代の茫洋(ぼうよう)さ、
大らかさを思いだし、
改めて礼讃するような気持ちとなった。
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【巻末リンク:マグロック】
【巻末リンク*2:災害】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
◎