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【サーフィン研究所:連載】彼女の島-11_(783文字)

【サーフィン研究所:連載】彼女の島-10_(735文字)

〜10号までのあらすじ。

1970年代、ノースショアに住む「ぼく」は、

タウンに向かう途中でマウイ島に住む美女と再会する。

ワイキキでサーフする約束を車内でし、

カカアコで軽い食事をするため、

食堂にやってきたところで、

ぼくは、

彼女に抱く気持ちを伝え、

フォード・ランチェロを走らせていると、

レッド・ツェッペリンの『天国への階段』がラジオからかかった。

天国への階段が収録された「Ⅳ」がリリースされる少し前、

つまり彼らが世界最大のバンドになる2ヶ月前に、

レッド・ツェッペリンは、

HICアリーナで伝説のライヴ公演をした。

この頃、

ハワイへはビッグネームはやってこなかった。

1960年代後半になって、

エルヴィス・プレスリーの各ショーがあったのが、

音楽界では大きなできごとだろうか。

エルヴィスのショウをプロデュースしたのがトム・モファットだ。

トム・モファットは、

ラジオ花形DJから伝説のプロモーターへと転身し、

ジミー・ペイジ率いるレッド・ツェッペリンのハワイ公演(二夜)を実現したのだ。

ここに記録するならば、

「レッド・ツェッペリンは、

一九七一年九月一六日に『HICアリーナ』と呼ばれる

シビック・オーディトリウムでハワイ公演をし、

翌日も大成功の幕をおさめた」

そしてバンドメンバーたちが、

公演中に滞在したワイキキ南にあるトムのヴァケーション・ハウスをいたく気に入った。

リーダーであるジミーは、

ジャパンでこれから5つの公演があり、

10月は一ヶ月まるまる空いているので、

「私たちは静養しにここに戻って来る」

そうトムに伝えたのだが、

『無題(Ⅳ)』が発売されると、

世界的な大ヒットとなり、

バンドはワイキキでのんびりする時間はなくなったようだと、

『ホノルル・スター・ブレティン』のコラムに書いてあった。

そのアルバムのA面に『天国への階段』が入っていて、

ぼくは、

いやぼくたちのおよそ多くがこの面だけを聴き続けていた。

(12に続く)