〜10号までのあらすじ。
1970年代、ノースショアに住む「ぼく」は、
タウンに向かう途中でマウイ島に住む美女と再会する。
ワイキキでサーフする約束を車内でし、
カカアコで軽い食事をするため、
食堂にやってきたところで、
ぼくは、
彼女に抱く気持ちを伝え、
フォード・ランチェロを走らせていると、
レッド・ツェッペリンの『天国への階段』がラジオからかかった。
天国への階段が収録された「Ⅳ」がリリースされる少し前、
つまり彼らが世界最大のバンドになる2ヶ月前に、
レッド・ツェッペリンは、
HICアリーナで伝説のライヴ公演をした。
この頃、
ハワイへはビッグネームはやってこなかった。
1960年代後半になって、
エルヴィス・プレスリーの各ショーがあったのが、
音楽界では大きなできごとだろうか。
エルヴィスのショウをプロデュースしたのがトム・モファットだ。
トム・モファットは、
ラジオ花形DJから伝説のプロモーターへと転身し、
ジミー・ペイジ率いるレッド・ツェッペリンのハワイ公演(二夜)を実現したのだ。
ここに記録するならば、
「レッド・ツェッペリンは、
一九七一年九月一六日に『HICアリーナ』と呼ばれる
シビック・オーディトリウムでハワイ公演をし、
翌日も大成功の幕をおさめた」
そしてバンドメンバーたちが、
公演中に滞在したワイキキ南にあるトムのヴァケーション・ハウスをいたく気に入った。
リーダーであるジミーは、
ジャパンでこれから5つの公演があり、
10月は一ヶ月まるまる空いているので、
「私たちは静養しにここに戻って来る」
そうトムに伝えたのだが、
『無題(Ⅳ)』が発売されると、
世界的な大ヒットとなり、
バンドはワイキキでのんびりする時間はなくなったようだと、
『ホノルル・スター・ブレティン』のコラムに書いてあった。
そのアルバムのA面に『天国への階段』が入っていて、
ぼくは、
いやぼくたちのおよそ多くがこの面だけを聴き続けていた。
(12に続く)