思えば遠くに来たものだ。
武田鉄矢さん主演の映画名だが、
トンビの目がファインダーから見えたとき、
反射的にそう浮かんだ。
ご縁あって空海を慕うことになった。
四国八十八ケ所の発祥地である青龍寺の裏海にいたり、
お寺を見つけては遍路してみたり、

真言密教を学ぶことは、
空海を慕う行為だとようやくわかってきた。

空海後の歴史を見ると、
空海の「教え」を伝える焦点が分派していき、
その絞りきった焦点からの逆転拡大現象によって、
観点が拡がり、
いまではさまざまな解釈となっている。
で、
自分が生きているサーフィン世界があり、
密教そのままに目を移すと、
「多くの人が幸せにサーフできますように」
この言葉をのこしたデューク・カハナモクが真っ先に浮かぶ。

瞬時にデューク・カハナモクと空海が思想的に一体となり、
それから私はデュークの思想に惹かれはじめたのだ。
ガォ〜〜!!

いくつかの研究結果は、
巻末にリンクしたので、
詳細とまではいかないけど、
イントロダクションはわかるのでぜひ読んでください。
デュークの教えは、
『ハッピーサーフ』
ということに集約されていると思う。
高みを目指し、
自身を磨き、
腕は超一流で他者に優しく、
そしてやがて自然と一体となる。
これこそがサーフィンの大淵源であり、
私は空海由来のデュークの導きにより、
その淵が見えたとすら思える。

けれど、
前述した空海の、
密教分派と同じようにサーフィン世界もあらゆる宗教がある。
ばらけて見えるけど、
リーダーたちのほとんどはやはりデューク信仰を持つともわかった。
エディー・アイカウもまたデューク・マインドに心頭した一人であり、
ジョン・ジョン・フローレンスも同じだ。
とすると、
サーフィンとは心構えの違いだと感じるようになってきた。
思考を開いていくと、
宗教も同じで心構えが違うものだとわかった。
密教の始まりは仏教であり、
その仏教以前にバラモン教があり、
そのバラモン=インド哲学を教える方に先日お会いして、
仏教関係のさまざまなことを拝聴した。
グッドサーファーである彼は、
「他者に期待するのは、
自身を痛めつける思想です」
こんな原則を教えてくれた。
他者に自分と同じ尺度を求めてしまうのはいけないのだ。
そんなことを想いながら、
この遠き足摺岬でコーヒーを淹れていただいた。
室戸岬やここは、
サーフィンが連れてきてくれた人生の聖地である。
それら聖地で空海のことを考えるのは、
さまざまな波動がやってくる感覚となった。
□
【巻末リンク:デューク・カハナモク伝】
【サーフィン研究所渾身号】デューク・カハナモク誕生日_1950年代サーフボードの歴史_高知県室戸市とガソリン価格_(1863文字)
【巻末リンク*2:法王誕生日はもうすぐです=6月10日】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
◎