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naki's blog

2011メキシコ旅回想記(前編、1687文字)

週末をいかがお過ごしですか?

各地の天気が入り乱れているようで、

どんな日になるのでしょうか。

さて、

ずっとブログ用フォルダーに入れっぱなしだった

『メキシコ本土旅』の写真が70枚以上あるので、

今日と明日で回想編として全公開しちゃいます。

サボテン=メキシコ。

そして俺とドン・エスコンディーダ大地は、

日本人とは見られずに、

国籍不明のスパイサーファーと思われていたようです(^^)

https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/20038

ドン・エスコンディーダの由来については上のリンクを。

そんな怪しい俺たちを客人としてもてなしてくれたイスラエル。

小百合太(サユリータ)で、

”お互いの波乗りを一本見ただけで打ち解けた”

のだからサーフィンという行為は、

人格を表しているようでやはりすばらしい。

魔界街にいた自称ドラゴンくん。

これはウニ畑岬。

見た目より波質が弱いので、

ミニ・ノーズライダーの走りが際立った。

ちなみに後ろで乗っているのが俺で、

前の波に乗っているのが真剣サーファーのドン・ガバチョ。

DOCの秘密シリーズ

”ハートブレーカー”

https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/18204

元々はネオ・シングルフィンとして考案されたもので、

それがボンザー系への亜流となって、

1、2という名が付いていった。

https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/19516

↑2のスケッチ段階。

https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/20243

↑このメキシコ旅大団円の巻。

↑↓こちらはストラトス岬。

ここまで小舟で行ったのです。

https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/20096

(バンダ猫登場の巻)

ボードはCOLEのキャノンボールでした。

(初登場日は下のリンクを)

https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/19861

現在発売中のサーフィンライフは、

メガカタログにその全貌があきらかになっています。

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海、しかも小百合太ブレイクのそばの宿を借りました。

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新しいブレイクを探しに行くと、

岬の向こうにスバラシ波があるという。

「グランデラスオラス!」

?No quiere bailar conmigo?

”私と一緒に乗り(踊り)ませんか?”

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このローカルショップのサーファーたちもビジターにやさしかった。

うれしさは感謝となり、それが輪となって拡がっていく。

日本もそうなったらいいのになあ。

道路標識はこんな表示で、

これはきっと

「歓迎、グアヤビトスにようこそ」

という感じだろうか。

「だろうだろう」

でなんとか旅を続けたレンタカー号。

大手ハーツで借りて、一週間3万円程度でした。

セビチェ・タコス。

セビチェとは、甘酸っぱい味付けのようです。

ミタ岬で見つけた岬波。

ゆらゆらとそれは長い良波だった。

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これは、

「わたしたちの海岸をきれいにしてね。

みなさんでゴミは持ち帰りましょう」

と書いてあるのだろう。

どこでも同じだ。

DE大地。

俺のスペイン語師範。

彼は茫洋として、

さらにはメキシカン相手に超然と構える対峙方法を見せる。

さすがメキシコ歴数十年の大物。

俺たちが大好きだったのが、この焚き火レストラン。

女将アドリアナのメニューの説明がすばらしく、

一通りの口上が終わるころには15分が経過していた。

そこでお願いしたのが、

この牧場風マヒマヒ(シイラ)プレート。

野外で、

火に当たりながら食べるのは黒騎兵になった気がして、

やたらおいしかった。

そのレストランの日中外見がこれ。

右側の木の下が焚き火ブース。

ジュラシックパーク入り口。

アイス屋。

見た目よりおいしくなかったが、

それは、

普段からいかにおいしいアイスを食べていたのかを知った

”たそがれの昭和40年代味”だった。

酒屋のトラックもメキシコ流。

↑↓ハートブレーカー弐号機。

明日に続きます。