Catch Surf © Skipper Fish JOB Pro 6’6″
with Vektor Fin trailers
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背丈くらいの美しい壁、
それの最長距離を味わいたく、
ダブルセクションのビハインドピークから入った。
この次の瞬間、
波は私を乗せたまま加速するように、
壁を垂直まで切れ上げてくる。
落下なのか、降下なのか、愉楽、
または恐怖それら全てを入り交えて自分の読みだけを信じ、
次のオープンセクションまでレイルを入れていく。
サーフィンの醍醐味であります。
昔から昔話を読むのが好きで、
TVのマンガ日本昔話をいつも観ていたとは、
先月発売されたBLUE誌に書いた。
今昔物語集はみなさんもご存じだろうが、
この巻二十、第三十九話に面白い話があった。
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“——清滝川の奥に庵を結んで修行していた僧がいて、
彼は験力で水瓶を飛ばしては水を汲むことができた。
自分の験力に慢心して過ごしていたところ、
上流にさらに水瓶を飛ばす有験の僧がいることを知った。
その僧はその上流の有験の僧を妬んで、
ある日その庵に押しかけ、
火界の呪を持って挑んだが、
逆に身を焼く苦しみを味わい、自身の慢心を悔い改めたという。——”
「清滝河奥聖人成慢悔語」より
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もしかすると、
これもサーフィンに似ていると思った。
私たちは修練者だとする。
すると、
自分の必殺技よりもすごいのをするのが、
ぞろぞろいるのはすでに知っている。
なのでおとなしくしている。
けれど、一緒にサーフし始めた友人が上手になったりすると、
うらやましいのと、なんだか悔しい気持ちもある。
だけど、自分はまだそんなレベルなので、
もっとがんばろうと思ったりもする。
そんな世界で生きています。
自身のビデオも写真も見ているわけですから、
「自分はこんなもの」というのも知っています。
で、この時代はカメラはもちろんのこと、
インスタグラムもフェイスブックもないので、
加速度的に慢心していくわけです。
「自分よりすごいヤツがいたら見てみたい」
でもすごいのは必ずいます。
あのケリー・スレーターですら、
ジョンジョン・フルーレンスにその王座を受け渡しましたし、
加齢もそう、世の摂理、そんなことです。
上級僧のところに押しかけて行くこの僧の世界観の小ささが露呈されるわけです。
エンディングは作者の計らいだと思うのですが、
普通は、
この時代なら間違いなく焼き殺されたと思うのです。
また来られたらかなわん。
そんな調子でしょう。
なので、
結局は妬みや自身の器の小ささは死、
または不調となって跳ね返ってくると思うのです。
サーフィンも妬まず、
技にこだわらず、悠々とのびのびとやっていただけたらいいな、
そう思って、平安時代末期からの作品を紹介しました。
とするとその頃から
『妬むとダメですよ』
と教えられていたのがわかります。
Happy Surfing!!
◎