千葉の前田博士が48年も前のサーフボードを鋭意複製したのは、
ぜがひでもという私の熱いまなざしと、
博士の研究のためだった。
依頼した私は、
ロゴとかシェイパーとか、
そういうのではなく、
あの当時のざらざら感、
つまりプレ・ピカピカというのか、
艶消し世界の君主がこの手に欲しかったのだ。
経年変化によって、
樹脂が飴色となり、
痩せて、ボランクロスが浮き出し、
グラス・オンされたフィン周りのロービング、
グラッシング・ラップもデコボコだった。
当時のグラッシング技術を掘り起こし、
博物館に置いてあるサーフボードを再製作し、
それを乗るというプロジェクトです。
結果がこれだが、
ほぼ半年+(プラス)後、
ボンザーは無事に完成した。
宇宙人に隠されたわけではなかったようだ。
それにしても運が良いサーフボードだ。
完成してからの波の良いことと言ったらそれにも驚かされた。
余談だが、
ドラゴン・グライド・プロダクションズ
という私たちが目指す波乗道というか教えの集まりがあり、
そこには、デューク・カハナモクを始祖とし、
ジョエル・チューダー和尚や、
始皇帝、
魔界皇帝、
総料理長、
シャッチョ、
チュラさん、
団長、
若頭、
宦官(特に名を伏せる)などがある。
タイラー・ウォーレンは裏皇帝で、
これはスター・ウオーズ由来だったり、
はたまた摂政の三蔵法師タキロー、
タキビ神に法王もあり、
アレックス・ノストなどは、
この世界では総帥だ。
その言い伝え、伝承には、
「(誕生時に)右手でサイドフィンを示し、
左手でセンターフィンの形をなぞらえ、
『天上天下唯BONZER独尊』と話した」
とされている。
「これは全世界でボンザーが一番尊い」
と、これまで広く解釈されていたが、
この場合のボンザーは、
サーフボードのシステムやデザインのことではなく、
「ボン=梵、ブラフマン:宇宙を支配する原理」
「ザー=3、参。欲界・色界・無色界の三界」
という思想のことではないか、
というのが、
最近の学説に多く見られる。
とにかく長くなったが、
マニア&ギークたちにさらわれてしまったボンザーを取り返すように、
当時「宇宙人が創った」ものが無事に完成すると、
台風崩れの嵐がやってきた。
そのテイクオフの早さに驚き、
その速度に膝は打ち震えた。
けれど、
次に考えたことが、
「このデザインが、なぜ定着しなかったのか?」
ということだった。
自分なりの解釈は、
当時のサーフィンの多くには、
「クラシカルからのモダンへと転換する時代だった」
ということが大きく作用しているのではないか、
そんな仮説を立ててみた。
というのは、
ボンザーは持続する加速性能なので、
ハックやクイックでは、
トライフィン流派と対戦してはならず、
共に違う流派世界のサーフィンだったからだ。
とにかく1970年代前半は、
サーフィン世界の全体主義のベクトルが、
こちらのクイック・ターン(コンテスト主義)に向いて、
ジェリー・ロペスのようなクラシカルなロングターン、
スキップ・フライのファイン・トリムなどは忘れたい、
忘れようとしていた時代だったのではないか。
それがぽっかりと開いた空白というか、
デザインを記憶させる真空状態を作りあげ、
その中にボンザーがするりと入り込んで隠れていた。
そして、
最近の歴史発掘というか、
サーファーズ・ジャーナル誌等による掘り下げによって、
再びボンザーは発見され、
その輝きを取り戻している。
しかしいまだにマニア感たっぷりだ。
しかも前出したようにボンザーを愛するものというのは、
総帥もそうだし、
カラーズマガジンのヨゲさんもそうであり、
タキローこと三蔵瀧朗もラカ法王もいわゆるオタク系である。
テイクオフし、
フルスピードでボトムまで降りていき、
波面が平らになるまで待って、
そこから飛び立つような加速トルクのあるボトムターンを引き放つ。
トップでは、
からまるようにリップに接水し、
次の加速命令までクールな顔をしているというようなサーファーたちだ。
当時——48年も前の彼らが、
多くに言いふらさなかったのは、
いわゆるカウンター・カルチャーの先駆者たちの意気というか、
「密に、秘密に」
そんな理由があったのだろう。
そういえば、
全体主義はアジアだけだと思っていたら、
アメリカにも欧米にも、世界全てにあったのだ。
【全体主義を決定する比率】
この比率こそが人の性の特性であり、
働きアリとそうでないアリの比率なのだと、
いつかのニュートン誌にそうあった。
□
【検証】
そのテイクオフだが、
連続写真を得た。
6’3″なのに、
この位置から漕ぎ出せる。
ここは、
他のサーファーにとって、
まだまだ「崩れる前の波」でしかないので、
かなりのアドバンテージとなる。
みんなが気づく頃には、
テイクオフの体勢に入っている。
しかもこれだけのオフショアにあおられても行ける。
なので、
このテイクオフが、
どこまで早いものなのかがお分かりになるだろう。
いわゆる混雑知らずなので、
波を獲りすぎないように、
誰よりも沖で待つのはいつものこと。
これによって、
波機会が半減するが、
逆に大きなセットに乗れるという利点がある。
または全く乗れずに山岡さんの位置(次の沖の人)まで戻り、
何やらの昔話をしたり、
さらに岸に近づき、
勝浦高校出身の石井悟くんと、
最近の板前業界のいろいろを話すことになるが、
それらには、
ここでは触れない。
混んでいるのに、
誰とも競わないで乗っていたら、
夢想流みたいな心地となった。
それは私が夢想権之助となり、
南房山の春日神社で祈願し、
滑走術の研究を重ねた結果と合致した瞬間であった。
七里ヶ浜のサーフィン研究所、
奄美大島用安の支所、
土佐高知の青龍寺の裏での修行が達せられたようでありました。
これは別の波。
沖のラインナップよりも数十mも沖から乗ることができた。
やはり夢想流である。
下手をするとロングボードよりも早くテイクオフができる。
ボンザー1971はやはり宇宙から来たものだと、
確信を得た日でもありました。
その動画↓
Happy Surfing!!
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