オーストラリアのパイがあると聞き、
焼いていただいているあいだ、
1983年のサーフ雑誌があったので目を通した。
キンテリこと、
キング・テリー(湯村輝彦さん)の渾身のアートがあった。
そこには今はなき
『マリンピック開催』
が華やかに掲げられていたのだった。
スラローム競技というと、
まだヤングだった私たちは、
これをウナギ・クネクネと呼んでいたが、
今見ても全く遠からずといったところだろう。
「いい時代だった」
老いたオビ=ワン・ケノービ(Obi-Wan Kenobi)のようにつぶやくと、
ハービー・フレッチャーやジャッキー・バクスターたちが誌を飾っていて、
ふたりとも私のサンクレメンテの大切な友人なので、
このキンテリ時代から彼らにつながっていたのだと感じいった。
私たちは、
その数時間前はジェフリーズにいた。
Nacky on
Catch Surf® ODYSEA Plank 8′
.
無風無人、
そしてパーフェクト・ウェーブ。
タキビ神によると、
「波情報では下三角15点が付いています」
そう教えてくれたのだが、
意味がわからないので聞いてみると、
「風が悪く、
100点中の15点で低得点という意味です」
そんなことだが、
ジェフリーズは無風の完璧なコンディション。
実際に何台も車がやってきて、
波を見ているが、
誰もがUターンして去っていく。
「評価の呪縛だね」
そう言うとタキビ神は、
「ヒョーカのジュバク」
と復唱されつつ、
「水圧はときにタイタニック号が沈む水深3800m付近に存在するジロ圧であり、
または太東岬に棲む怪物魚ダンナでありましょう。
令和ラカ・ピラミッドからイリエ・エクスプレスのライトに乗り、
入り江で8本乗ってから乗り換えて(堤防越え)エックスより、
国鉄上総ヨコスカ線チョクツーの会館前と椎木太東秘密基地の往復でした」
そんな複雑怪奇な思考となっていた。
夜明けのポパイ・ケイスケ。
ソウルと根性たっぷりのサーファーは、
いそうでいない。
芦原空手三段で、
その道には知られた猛者だが、
沖縄経由で千葉にやってきて、
高知のスマイリー・グリズリーのようにいつもニコニコしている。
私はショアブレイクで、
大谷翔平くんのようにピッチングの練習をし、
Catch Surf® Heritage Collection Nose-rider 8’6″
.
その合間に波に乗った。
やはり野球人として、
目指すところはショーヘー・オータニということなのかもしれない。
「大谷君は複数のMVPを取って、
名実共に世界一の野球選手となり、
いまから数年後にはドジャースに行って、
前半のOPSがワンサウザンを超えるだろうね」
予言神託風で華厳さんがササヤいたが、
これから私たちが受けるビッグボード弾圧のことはまだ話さないよともおっしゃっていた。
そのビッグボードによるハッピーサーフィンは続いていった。
これはタキビ神が譲ってくれた波だ。
純潔なる波に乗り、
心は澄明な光に満たされた。
水の壁。
空と海。
色と光、影と思想。
私はこの澄んだ透明な世界で息をして、
世間から追放されたように開放されていった。
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Riding the pure waves,
my heart was filled with clear light.
Water wall. Sky and sea.
Color and light,
shadow and thought.
I breathed in this clear and transparent world and was open as if I had been banished from the world.
タキビ神はもともと大のコーヒー好き。
その好きが高じて、
一級焙煎士を目指し始めた。
これは炭火焼きコーヒーの実験風景だ。
このコーヒー焙煎士を交え、
イルガチェフェとグジの試飲日は
『最高峰』とされるG1の存在に迫った。
これはV60(シックスティ)のプア・オーバー。
またはエアロ・プレスで、
無限の無限と、
無限の有限を実感する。
膨張させつつ抽出し、
抽出させながら拡張していった。
先週フレーバー・コーヒー数種が完成し、
祝杯を挙げつつ、
パッケージ作りにうれしく多忙な本日。
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【巻末リンク:マンダラ・コーヒー】
【巻末リンク*2:読みもの】
【巻末リンク*3:読みもの2】
Happy Surfing and Happy Lifestyle!!
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