空海の元々は真魚(まお)という名前だった。
もちろん平安時代のことなので、
これは幼名というものだ。
それによると、
人はハマチがブリとなるように名が変わり、
真魚は空海となったのだ。
この空海の偉業はいまも知られるところだが、
19歳からの10年間は空白の10年間だとされている。
この当時は国内で唯一だった大学ですら、
奈良にあったのか、
または長岡京だったのかもわかっていない。
そんなころ空海は、
山岳に分け入り、
真理を得るべく日々修行していたと考えられている。
その痕跡をたどると、
空海は真理を得るべく、
経典を探し回っていたようだ。
室戸岬にいたとは良く知られたことで、
ここで空海は悟りを得たのだという。
空海は、
突然東大寺に現れて得度し、
歴史に戻ってきた。
これを推測すると、
空海は、
「真言八祖」という密教を学ぶ遣唐使(けんとうし)となりたく得度し、
そのまま唐の長安まで渡った。
長安=中国というのは、
書の国でいまも文献がたくさん残されている。
空海は、
第二母国語の漢語で
八面六臂はちめん-ろっぴの活躍をし、
具体的には書に詩文に、
そして政治力まであったようで、
最終的には、
「真言八祖(しんごんはっそ)」の8代目の灌頂を授けられた。
門下生一万五千人というなかで外国人が達成するのは、
ローマ帝国以来の100万人都市の長安の歴史でも珍しいことだろう。
その100万人を震撼させつつ、
凱旋帰国した空海の伝聞は、
弘法大師だったり、
高野山や、
四国八十八箇所を思い浮かべたらいくつかを取り出せるだろう。
そんな真言八祖の教えが絵図になっているものがある。
マンダラ図である。
しかも図はふたつに分かれていて、
一枚には原理が図となって描かれ、
もう一枚には物質と意識=知の全体像はある。
これが、
『両界曼荼羅図』である。
ここに真理があり、
宇宙があると考えられてこれまで幾度も研究が重ねられてきたが、
いまわかっていることは、
ものすごい知のレベルで、
9という区画のなかに81世界が描かれて、
その縦線にあたる軸でも同様に知と原理、
そして物質世界が表現されていることに、
ひたすら畏敬させられるということだ。
□
【巻末リンク:大切なこと】
【サーフィン研究所】「沈思シングルフィン、華ツイン考」_クマビーチのクマ・ロック_梨の行方と戻りカツオ_(1558文字)
【巻末リンク*2:室戸の民話】
【巻末リンク*3:民話Ⅱ】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
◎