
昨日はトレーニング日だった。
水中ウォーク各種、
ランとバイク、
12kgスクワット後、
NAKISURF経由でエンスーラボに行き、
前田博士とずっと話しこんでいた。

レジンと硬化剤、
レイル特性から見えるボードデザインのこと。

そこから派生する有効なるボトム面積に加え、
ラウンドボトムの有効性というありがたい講義をうかがった。

私の番となり、
1940年代後半に活躍したサーフボードビルダーのことを話した。
ジョー・クイグやボブ・シモンズ、
デール・ベルジーに丁稚留学した12歳のドナルド・タカヤマのことまで。

サンオノフレ<マリブ<リンコン
上の文字列は、
1940年代当時ではロスアンジェルス周辺の花形というか、
メジャーなサーフ・ブレイクの波の硬さと速さを表示したものだ。

もしリンコン岬のような波がなければ、
サーフボードのデザインは違うものになっていただろう。

さらにはコスモス・サーフボードの発展性とか、
先日話したチューブライディングのセットアップを確認しつつ、
ノーズライドの重要性などを話していると、
すっかりと夜更けとなってしまった。
サーフィンの話はすばらしい。

足ヒレの最高峰「ダフィン」が売れた。
ナッキーが昔のUSサーフ雑誌のページ各種を使って、
このような包装を施した。
すると、
ドラゴンというサングラスのロゴが見えた。

ドラゴンのロゴより、
D師範ことシェーン・ドリアンを思い出しつつ、
弟子役であるカラーズ・マガジンのヨゲさんの顔が浮かんだ。

昨日の話だが、
千葉北周辺のライブカメラでタマサキの波を見ると、
ハーロつくん(旧名:ガッキー、泪橋ジム)のアルカディア号が停まっていた。

すかさず電話をすると、
このようにタキビポーズをしてくれた。(喜/ 中央付近)

春となり、
南うねりが入るようになってきた。
さらに冬の北東うねりがいまだにやってきている。

両方向からうねりが入るのは、
それぞれのソースが違うからで、
どうやら低気圧と気圧の谷からのうねりだった。

最近は波に乗っている写真がほとんどない。
波が良いと、
誰もカメラを持たずにパドルアウトするからだ。

先日もポストしたのが、
太郎と二郎のいま写真だ。
彼らは高校と中学の入学式を終えたばかりだ。

すっかりと大きくなったのだが、
少し前はこんなに小さかったのだ。

私は君たちを肩車をしたのだとジマンしたが、
すでにそれぞれ80kgと65kgだということで、
こちらが肩車をされるようになったのかもとしれないと笑った。

その肩車証拠写真。
ちょっぴりヤングなオン父さまと、
後にはバリのヤマザキさん( @hontaunoyamazakisan )も写っている。

これは先月の高知に向かうときのヒトコマだが、
たった30日前は雪が降っていたのだ。
そんな驚きがあるほど季節は進んだ。

パンダパンというが、
どう見ても素人のパンに見えてならなかったのは、
以前私が作ったものと同じようなものだったからだ。

クラフト・テキーラとあるが、
原材料を見ると香料だとか、
着色料とあったので、
大手メーカー得意のヒネリみたいなものだとわかった。

真のファンは本物を求めているが、
メーカーからすると、
三角形の底辺層に売り上げがあるのでこんなことになるのだろう。

ならば、
購買する人がこのことをわかればいいのだが、
テキーラの原材料すら知らないだろうから、
この話はここで終わってしまう。

これはタモリさんの名言だが、
マグやんだけは真逆で、
仕事は無遅刻無欠勤だが、
私たちとの約束には遅れる、
または来ないことが多々ある。

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【巻末リンク:明日はギンサバミチ】
【巻末リンク*2:他のジローの肩車編】
【巻末リンク*3:知と徳】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
◎


