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3.8フィートの週末1-7ハワイ・ ファイヴ・オー/ 片岡鯖男_(2818文字)【ドラグラプロダクションズ製作】

3.8フィートの週末

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1-7

ファイヴ・オーのなかのハワイ

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『ハワイ・ファイヴ・オー』のエピソードが始まるとき、

タイトルの背景にあらわれるのは、

オアフ島北海岸のパイプラインの波だと思っていた。

いま見てみると、

それはハレイヴァ沖のヒマラヤではないかと思えてくる。

なぜならパイプラインのバレルは、

こうしてフォームボールが押し出されることはないからだ。

断面が大きな楕円のバレルとなる波は、

海底に関して多少の知識を持っていないと、

ここでなぜこうなるのかが理解出来ないはずだ。

バレルの天井となる波先が、

頂上から付きだし、

それと同時に波面が手前に張り出し、延びていく。

バレル内を満たすフォームボールは、

見た目にはいいのだろうが、

バレルには入れない、

そんなフラストレーションを感じるタイミングに合わせて、

『ハワイ・ファイヴ・オー』というタイトルが二行で出てくる。

白抜きの平凡な書体を、赤い色が縁取る。

このタイトルをシルク・スクリーンで色鮮やかに印刷したTシャツを、

僕は持っている。

店で売っていたから買ったのだ。

トロピカル・松村くんなどはうらやましがるのだろうか。

それにしてもアフタヌーン・パダダイスは良かった。

遠く、ハワイから聴くことができたのも良かった。

いつも着ているアロハ・シャツでスタジオ入りしたトロピカルくんが目に浮かぶ。

杉真理さんと言えば、

大瀧詠一さんが水戸黄門だとすると、

音楽界に対して行なった世直し(勧善懲悪)にも映るトライアングル構想を持ち、

そして佐野元春さんと同時にVol.2での助さん・格さん役となった人物である。

Vol.1が山下達郎さんと伊藤銀次さんで、

もしVol.3があったとすると、それは誰だったのかが興味深い。

そのトライアングルは、

ナイアガラ・レーベルとして結実し、

有名すぎる『A面で恋をして』の確信的な大ヒットにつながり、

ひいては、デヴュー直後の杉さんや佐野さんたちの地位を確かなものにした。

これが、1981年の秋から冬にかけて、僕たちの世を席巻した。

あまり知られていないが、

杉真理さんは石川さゆりさんの、

『ウイスキーが、お好きでしょ』の、作曲者でもある。

その杉さんの人気FM番組にトロピカルくんが、

出演したというのもじつに令和的で、めでたく、

そしてジェネレーションという意味では、

30数年という大きなギャップを埋めたことに意味があると、

僕は思う。

『ハワイ・ファイヴ・オー』というTVドラマ・シリーズの放映が、

CBSのネットワークで始まったのは1968年のことで、

タウンのケヌヌ・ストリートに住む友人に誘われ、

僕たちはノースショアへいった。

彼の家の前は、

後にホリデーマートとなって、

アラ・モアナ・ショッピング・センターも近くにあったから、

それは賑やかな通りとなっていくのだが、

そのときも今もインターステーツH1であり、

カメハメハ・ハイウエィだった。

その時は、

オアフ島にいた僕たちは、

ミリラニ、ワヒアワを抜け、

パイナップル畑のまん中を突っ切って、

赤土のノース・ショア、北海岸に降りていく。

ルート83、

ハレイヴァの橋を越えると、

そこはサーフィンの聖地となる。

牧場の横を走り、

ラニアケア、ジョコブス、ワイメアと過ぎ、

ログ・キャビンを越えて、

エフカイ・ビーチパークの、

水たまりだらけのパーキング・スペースに、

ネイビーブルーのモンテ・カルロを停めた。

モンテ・カルロは、

当時ではシェヴィの新型だったので、

この記憶が正しかったとすると、

ハワイ・ファイヴ・オーの第1クールが始まった翌年か、

もしかしたら翌々年だったかもしれない。

その日は、

ピリオドの長い北西うねりだった。

パイプラインという名のとおりに、

楕円形の巨大なチューブ波が出来ていた。

その波を指さして、

「きみがいま着ているTシャツと、おなじ波だよ」

そう言って、モンテ・カルロの友人は笑った。

僕はきっとこのときに

「ファイヴ・オーの波はパイプライン」

という刷り込みをしてしまったのだろう。

ファイヴ・オーとは5・0のことだ。

ゼロをオーと読むときもある。

ハワイは、

ユナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカの五十番めの州。

だから、50をファイヴ・オーと読んで、

そのままタイトルとした。

『ハワイ・ファイヴ・オー』におけるハワイという現実の場所は、

このドラマが展開するイマジナリーな場所として機能した。

ハワイは、

1959年、3月11日に、

アメリカ合衆国の五十番目の州となった。

1960年代の終わりとなると、

年間八十万人もの観光客を獲得し、

20年後には、

こちらも一年に四百万人もの観光客が来島するようになった。

この四百万人がやってくる大きな動機となったのは、

『ハワイ・ファイヴ・オー』が、

ハワイの魅力をTVドラマで伝えたことが大きい。

観光地として、

あくまでもツーリズムの観点でのハワイの黄金時代は、

1920年代の終わりから’30年代にかけてだった。

ごく限られた人、つまり世界の富裕層の人たちが、

『ハワイ』へ、

観光や保養あるいは社交のための旅行をした。

とにかく1980年代後半に、

四百万という人たちが、

ハワイを訪れたという数字を見るとわかるのだが、

これは明らかにハワイが大衆化した証拠である。

ハワイに住むものにとっては、ハワイは現実だ。

世界じゅうから来るツーリストにとっては、

現実でありながら、

なおフィクティシャスのきわめて強い場所、

それがハワイだった。

ハワイの増幅した魅力を、

ハワイの映像を毎週、

TV電波に載せて伝えたのが『ハワイ・ファイヴ・オー』だ。

さきほど、フィクティシャスと書いた。

架空とか、虚構性という意味だが、

これこそがTVの魔法で、

ただの南の島をパラダイスという刷り込みの層を、

さらにフィクティシャスという魔法で磨き上げた。

パラダイスと言えば、まずハワイが浮かぶ。

魅力的な観光地は地球上にたくさんあるが、

パラダイスというイマジナリーな魅力の最高位にあるのは、

いまだにハワイの魔力が効いているのである。

『ハワイ・ファイヴ・オー』

のオープニングをYouTubeで再生してみる。

当たり前だが、一九六八年以前のハワイの光景だけだ。

五十年前とおなじハワイは、

モロカイ島やニイハウ島あたりでで丹念に探さないかぎり、

もはやどこにも存在していない。

『ハワイ・ファイヴ・オー』のなかのハワイは、

いまはどこにもないという意味において、

パーフェクトなフィクショナルとなった。

そして五十年前に存在はしていたものは、

波だったり、

ビンテージカーや、服や髪型になるわけだけど、

これはなぜかいまも同じスタイルの人がいる。

トロピカル松村くんなどがそうだ。

そして、

その五十年前の映像を、

いまの僕が夢中で見てしまうほどに、

ものの見事にパラダイスとしてのハワイのイメージそのものなのだ。

すると、

この時代こそがトロピカルであり、

そしてパラダイスだったのだろう。