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naki's blog

【ミヤサバ作】『幸せのタローマン』「完結編」_(2386文字)

この物語は、

宮沢賢治先生の「セロ弾きのゴーシュ」をオマージュしています。

わたしはいすみ市中原1−17−17で

——きっと賢治先生が持っていたであろう

「ホンヤクキ旧字出力版」

を手に入れてからというもの、

遅筆ですが、

このようにたまに執筆するようになりました。

『この世が幸福にならないと僕の幸せはありえません』

令和4年2月9日、宮沢鯖治

ミヤサバ先生はタキビ神のペンネームだと噂されているが、

編集部は公表できません。

文学はみなさんの想像力でお楽しみください。

バックナンバーが5つあります。

まだの方は順に読んでくださると、

この作品の世界観がわかるはずです。

文体がどんどん現代化していくのも。

バックナンバー:

『幸せのタローマン』その〈新滑走俱楽部〉

【ミヤサバ作】『幸せのタローマン』その1〈新滑走俱楽部〉_同時上映:キャッチサーフ祭_(1855文字)

『幸せのタローマン』その〈三毛猫ミヤア〉

【ドラグラ・プロダクションズ発ミヤサバ作】『幸せのタローマン』その2_(2525文字)

『幸せのタローマン』その〈フィールザグライド〉

【ミヤサバ作】『幸せのタローマン』その3”フィールザグライド”_(1332文字)

『幸せのタローマン』その〈さよならカッコウ〉

【ミヤサバ作】『幸せのタローマン』その4〈さよならカッコウ〉_(1539文字)

『幸せのタローマン』その〈タヌキの子〉

【ミヤサバ作】『幸せのタローマン』その5「狸の子」_(1981文字)

『幸せのタローマン』その〈野ねずみたち〉

【ミヤサバ作】『幸せのタローマン』その6〈野ねずみたち〉_(2539文字)

『幸せのタローマン』

〈完結編〉

それから六日目の晩でした。

『新滑走俱楽部(The New Gliders Club)』のメンバーは、

顔を赤らめながらそれぞれのサーフボードを抱え、

サーフブレイクの堤防裏にあるエリアへ集まってきました。

首尾よく全員で交響シェアライドをしたのです。

海岸では、

拍手の音がまだ嵐のように鳴っています。

これはまるでパイプライン・マスターズで、

ケリー・スレーターが8度目の偉業を成し遂げたかのようです。

部長はポケットへ手を入れたまま、

その喝采を平然と聞きながらメンバーの間を歩きまわっていました。

けれど、

じつはうれしくて跳ね出したい気持ちでいっぱいなのでした。

みんなはスマートフォンをいじったり、

サーフボードをケースへ入れたりしました。

海岸からの喝采がいちだんと大きくなって、

何だか手がつけられないようになりました。

白い蝶ネクタイのディレクターがやって来ました。

「ファンの方がおさまらないのですが、

誰か短いバレルでもいいので、

乗ってやってくださいませんか?」

部長が即答しました。

「いけませんな。

あのシェアライドのあとへ何を出したって満足させられませんな」

「では部長さんが出て、何かスピーチしてください」

「だめだ。おい、タローマン君、行って1本乗ってくれたまえ」

「ぼくでいいのかな」

タローマンは驚きました。

「君だ、君だ」

メンバーのひとり、

オーストラリアの人がいきなり顔をあげて言いました。

みなみかわぞえの宇賀くんも

「タローくんが行ったらみんながおさまると思います」

そう言いました。

「さあ行きたまえ」

部長が言いました。

みんなはバリマギをタローマンに持たせ、

堤防の向こうに押し出してしまいました。

タローマンがその幾科学模様のバリマギを持って、

波打ち際まで出ると、

観衆はさらに大きく手を叩きました。

キャーと叫んだ女の子も多かったようでした。

「よしクオーターファイナルのセス・モニーツの1本目だ。

バックドアの落下バレルインでメイクするよ」

タローマンはすっかり落ちついて、

沖まで出てボイルの前の、

セカンドリーフがヒットするかしないかの、

波エッジ下のフックを見つけました。

凶暴な波は覆い被さってきます。

それからテイルをグッと沈め、

あの猫が来たときのようにテイクオフしました。

それからカッコウがしたようにフィールザグライドの姿勢で、

バレルのせんたんをかいくぐり、

波の中に包み込まれると、

そのまま背中と前足を波側に倒すようにしてセットしました。

観衆はしいんとなっています。

タローマンはどんどんバレルの中を進んでいきます。

タヌキの子を思い出しながら、

次々とベンドするように跳ねる波壁をトリムし、

フォームボールのセクションでスライドする苦しいところは、

野ねずみの忍耐力でメイクしました。

滝のようなスピットが吹きだしたものですから、

レイルをつかみながらトップラインの方向だけ見て、

ハイラインをセットし続けました。

気がついたら、

波の外にはき出されていて、

しかもなんとそれは、

このイベントでベストオブベストの超波をメイクしたものですから、

多くの観衆から絶叫が沸き上がり、

それはまるで今年のパイプマスターズのファイナルを超えるほどでした。

メンバーたちもショアブレイクでタローマンを待ち構えます。

放心したタローマンは、

この時のことをおぼえていないと言いました。

タヌ星の主要紙「タヌーズウィーク」の記者は、

「まるで”あしたのジョー”の最後のコマのように、

偉大なるタヌ王子は少し下を向いて満足そうに微笑んでいた。

観衆はタローマンが燃え尽きてしまったと理解し、

子供たちはタローマンはただ目を閉じているだけで、

今夜もまたどこかの動物がドアを叩くのだと思っていたに違いない」

という趣旨の記事を書きました。

その晩は宗安寺で仲間だけの記念パーティがあり、

民宿徳増浜で集めた魚介類をいただき、

ずいぶんと遅くタローマンは浦ノ内へ帰って来て、

また水をがぶがぶ呑みました。

それから窓をあけて、

遠くのそらをながめながら

「なあ、かっこうとネコくん。あのときはごめんね。ぼくは怒ってないよ」

と言いました。

(あとがき:最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

自動翻訳機が拾う文体を昭和10年ごろの原文に求めました。

その文体を年代を追って毎回新しくし、

この令和4年まで変化させてきたものでございます。

いまあらためてその旧字から変わったばかりの時代の段落を読みますと、

簡素のなかに難解があったりもして、

思考はぐるぐると回るばかりでございます。

またご機会などありましたら、

みなさまの前にこの文字列を羅列させていただけたら至極幸いでございますハイ。

ハッピー・サーフィング

宮鯖賢治