ボンザーは思想だといつか書いた。
(巻末リンク*1にございます)
アレックス・ノストや、
クリスチャン・フレッチャーから借りた真性ボンザーに乗ったとき、
なぜだか波乗思想=本来、波に乗ることで存在している本質が満ち満ちてきた。
または「充ち満ちた」という表記だったのかもしれない。
(このことはNALU誌に書き、このブログにも移植済みです。
どうぞ巻末リンク*2をご覧になってください)
私は波に乗り続けている。
というのは、
現実の波に乗ることはもちろんのこと、
人気がないところでは必ずサーフィンの格好をして、
自分が波に乗っているのを思い浮かべている。
両膝を内側から外側に引き絞るようにし、
中腹からボトムまで降りる硬い斜面と、
自分に吹き付けてくる風を想像する。
湯沸かし機の前で、
ラップトップの前で、
(たいていは立って作業している。いわゆるスタンディングスタイル)
風呂場でやるときは足下が滑るので、
バックドアやイナリーズのような超高速波の想定とし、
自分がサーフボードごと吹き飛ばないようにと、
滑る足先でスタンスを結び、引き絞っていく。
この鍛錬のおかげで夢の中でも波に乗れるようになった。
今朝方見た夢は、
シェーン・ドリアンことD師範が現れて、
そこはノースハワイで、では一緒にイナリーズへ、
そしてソフトサンドリーフへ行き、
放心するほど波に乗っていた。
目覚めてからも夢に戻りたく、
現実との境を戻ろうとしている自分がいた。
Tyler Warren 1973 Bonzer 6’4″
.
少し前に台風2号が来て夢波に乗った。
上の写真の日だ。
で、
その思想サーフボードでこの現実の夢波に乗ってみると、
ボンザーで述べていた思想というのは、
現実的かつ実践的なのだと知った。
ここで興味深かったのは、
「思想サーフボードでこの現実の夢波」
という言葉です。
思想(理念)/サーフボード(現実)
現実の夢波というのは、
その現実と思想が混ざり合った状態を意味しています。
反義語というか、現実と理法が同等に会している。
英語で言うequality(対等)という表記が一番正しいかもしれない。
この混ざり合いのことを考えてみると、
「世は無常」
「諸行無常」
というふたつの言葉が浮かんできた。
常ではない→動いている。
宇宙全体、全てがことごとく動いている。
思想も動き、現実ももちろん動く。
これこそが、
京都東寺で見た両界曼荼羅図なのではないかとチラリ思い、
タキビシとラッコ旦那の顔を思いだしていた。
タキビシのトレードマークの袢纏と、
旦那が「おいどん」と自分のことを呼ぶことも。
さて現実。
海が荒れた。
東シナ海方面に行くと、
やはり岬周りがサーファブル、
波乗り可能なスポット群となっていた。
↑ 写真で見ればまともだが、
実際は流れと、
向かい風で沖に出ることは容易ではない。
↑ この崖の下は、
ドラゴンファーストと呼ぶ。
Bパスで喰らって、
流されると、この湾内に入ってくる。
↑ これはそのドラゴンファーストのインサイド。
とっても弱い波質なので、
ログやロングボード、
フィンレスやミニマルなどが楽しいだろう。
こうしてラップしながら入ってくる。
もっと書くと容易な波質なので、
自分が上手になったと実感するほど、
波乗りに適した波質なのであります。
Bパスまでたどりついた。
この波は例によって、
安倍晴明と蘆屋道満が同居しているような、
天国と地獄のような波質でありました。
これが今借りている軽バンで、
この中をキャンパーにするプロジェクトをしています。
詳しくはまたここでご報告しますね。
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【巻末注釈リンク*1:思想ボンザー】
【サーフィン研究所スペシャル】いにしえのサーフボード編:タイラー・ウォーレン1973ボンザー@奄美大島_(2222文字)
【巻末注釈リンク*2:赤いボンザー(講談)】
【巻末注釈リンク*番外編:DFWについて】
【巻末注釈リンク*番外編2:バリー・マッギーについて】
【巻末注釈リンク*バンガイヘン・スリー:赤いボンザー原典日】
Happy Surfing!!
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