新品・中古サーフボード販売、カスタムオーダー、ウェットスーツ、サーフィン用品など。NAKISURFは、プロサーファー、フォトグラファー、サーフライターで知られるNAKIのコンセプトサーフショップです。

naki's blog

【サーフィン研究所:連載】彼女の島-13_(918文字)

【サーフィン研究所:連載】彼女の島-12_(536文字)

〜12号までのあらすじ。

1970年代、ノースショアに住む「ぼく」は、

タウンに向かう途中でマウイ島に住む美女夏子と再会する。

ワイキキでサーフする約束をし、

途中に立ち寄ったカカアコで、

ぼくは彼女に抱く気持ちを伝え、

フォード・ランチェロを走らせていると、

ラジオからレッド・ツェッペリンの天国への階段がかかり、

「ぼく」は伝説のHICライヴ、

日本人観光客がハワイの好景気をスタートさせはじめたことを思い浮かべていた。

13.

The Moana Hotel

「どんどんホテルが建つみたいね」

ぼくの悪い癖だ。

ラジオからのことに夢中になって、

夏子が横にいるのをすっかりと忘れていた。

ぼく、

いやぼくたちは、

アラ・モアナ大通りを右側に折れ、

カラカウア通りを南に向けて走っていた。

「ハワイが州となる数十年も前に、

ワイキキの最初のホテルが建てられたんだよ」

「ピンク・パレスね」

「違うんだ。

ピンク・パレスではなく、

モアナ・ホテルが最初なんだよ」

「そう、何年のことなの?

「1901年。

モアナは、

すべての部屋に専用のバスルームと電話があり、

それは贅沢なものだったらしいよ」

「今ではあたりまえのことなのにね」

「そうなんだよ。

創業時は一泊1.5ドルだと書いてあった」

「当時の価値で1ドルっていくらなのかしらね」

「わからないが、相当なものだろう。

モアナ・ホテルのオープンと一緒にワイキキが観光地となったんだよ」

 

「デューク・カハナモクはいつくらいの人なの?」

「デュークは、

1890年に生まれているから、

このワイキキの発達と一緒に生きた人だ」

「ハワイは、

観光を軸に商業的に発達したのね」

「そう、だからハワイ州はデュークのみならず、

グレイトサーファーたちをサーフ・アンバサダーとして、

カリフォルニアやオーストラリアへ行かせて、

さらなる人気を得ようとしたんだ」

「いつピンク・パレスが建ったの?」

「1927年のことだ。

それからホノルル・シーサイド・ホテルが取り壊され、

ピンク・パレスこと、

ロイヤル・ハワイアン・ホテルの建設が始まったんだ」

「それからワイキキが大盛況になったのね」

「ラジオで聴いた話だけど、

ワイキキ観光局は、

15000室も部屋があると発表していたからね」

(14に続く)