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【サーフィン研究所特大号】NAKISURF所感_キャッチサーフの歴史9「ゆるくハッピー。 でもワールドクラス」_(2296文字)

Catch Surf® Special Skipper Fish 6’0”

The Groovy Fin

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波は続く。

東北東うねりの周期が、

平均11秒後半もある。

Photo by @supertakibishiyasu

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それが平均波高1.5mともなると、

セットの大きなのは背丈以上にもなった。

上画像は、

ホッシーが『ドリームアップ』の傑作

「クラシック’70s」を受け取ったところ。

ホッシーは、

『12フィートログからTheOne』

サーフ界垂涎(すいぜん)の怪達人カイくん(平松 海)をサーフ師匠であり、

他の分野では、

彼(ホッシー)がカイくんの師範という輪廻関係であるようだ。

私の大切な日曜日の弟子であり、

ナチュールワイン好きな好青年だ。

ほんたうのヤマザキさんが、

クラシック・ピン84(254cm)をサーフモービルに搭載した。

マシコさんのところのリン(凛)がやってきて、

その秘めた山口百恵ぶりを発揮していた。

グルービーフィンのキールが、

エリック・クリステンソンの、

ミレニアム・ファルコンの73(221cm)にピッタリだった。

このキール・デザインにはさまざまな工夫と歴史があり、

1970年代カラーとのマッチングに奇跡的な縁を感じた。

(第一部終わり)

昨年に総計13000字となるキャッチサーフの歴史を書き上げた。
今日はその第9回目を掲載します。(9/10)

9.

スキムボーダーの台頭

ラグナビーチ出身のタイラー・スタナランドは、

キャッチサーフのメイン・チームライダーだ。

さらに書くと、

彼はライフガードであり、

フィジーのクラウド・ブレイク(怖波)の、

ザ・デイを征服することができるリアルなサーファーである。

一見すると、

人気TVドラマ「ベイウォッチ」で見たことがあるような端正な顔立ちをしていて、

『Beverly Hills, 90210(ビバリーヒルズ高校白書)』

に出ていそうな長身美男子であると思ったら、

本当にドラマに出演している俳優でもある。

Selling the OC(Netflix)で人気絶頂となった。

考えてみると、

欧米において演技派俳優で、

波乗り達人という人物は世界初となるのか。

(*エルビス・プレスリーもいい線いっていたけど、

じつのところサーフィンが著しくイマイチだった)

(**ジェリー・ロペスは、

俳優業としてはブレイクしなかった)

長身で知られるMLBの大谷翔平くんは、

すばらしいネーミング・センスを誇り、

チームメイトに「イカくん」とか、

「イケメン」と呼んで定着させている。

大谷くんならば、

タイラーのことを「スーパーモデル」と呼ぶだろう。

ラグナ・ビーチでもうひとり忘れてはならないのが、

ブレア・コンクリンである。

Tストリートの天才はジョニー・レッドモンドで、

カリフォルニア・コーストでの天才がブレアだと、

名を知られる横乗りバランスの5ツール・サーファーだ。

この天才ブレアと、

スーパーモデルのタイラーたちは、

キャッチサーフの新作に乗って、

あちらこちらのショアブレイクで伝説を作っていた。

新作というのは54だったり、

いわゆる短いミニ系で、

彼らスキマー(スキムボーダーのこと)が、

キャッチサーフの短身ボードの性能を上げたと言えよう。

短いレイルラインをビシリとセットし、

ニューポートのウェッジやシールビーチの激掘れクロスオーバー、

またはフィジーの激波をメイクするのがSNSで公開されると、

ちょっとしたブームとなり、

世界中からのオーダーがやってきて、

キャッチサーフ社は第三次品薄となった。

さて、

キャッチサーフでは、

54や50などの短いボードは、

絶妙なるフィン位置によって、

ターンが絶妙となっている。

例えば、

各フィン位置は、

ネヴ・ヘイマンだったり、

ライアン・イングルというマニア・エンスー系のシェイパーに依頼している。

鬼才クレイ・マーゾがマウイの轟波で54に乗って、

超が付くほど気に入り、

そのままチームライダーとなった。

クレイは、

チャッキーことローガン・ドゥリアンの「SNAPTシリーズ」で、

そのレイバック・スラッシュや、

インポッシブル・バレルをメイクして、

私たちのドギモをすべて抜いてしまった。

チャッキーとはアナコンダ・コスタリカやフィジー未踏島に行った盟友なので、

隠しページにリンクがある。

コスタリカ編

そのいくつかはこの文字列をクリックすれば読める仕組みとした。

ブレアとタイラーによるミニボード革命によって、

スーパー・サーファーたちが、

ショーオフすることがトレンドとなり、

「超性能のキャッチサーフ」

という口コミや推しが拡がっていった。

ブレアは、

各地に完成したウェイブプールでもキャッチサーフの潜在的かつ、

究極なる性能をデモンストレートし、

その人気というギアをさらに上げていった。

WSLからのエリート、

カラニ・ロブがハッピーサーフ=キャッチサーフ教に入信済みであり、

さらに前述したブレア・コンクリンとタイラー・スタナランドによって、

ミニボードのありえないほどのポテンシャルによって、

輝く世界観を獲得した。

そしてミスター・パイプライン、

サーフシーンの超異端児JOBことジェイミー・オブライエンが、

このキャッチサーフの7〜オディシーや、

6フィート台のスキッパーフィッシュで、

バックドア、

パイプライン、

そしてワイメア・ショアブレイクで

前代未聞の挑戦があり、

それらは全て水戸黄門や遠山の金さん的な結末となり、

「ゆるくハッピー。
でもワールドクラス」

そんなサーフ新時代が開始されていた。

(最終章10に続く)

【キャッチサーフの歴史:バックナンバーズ】

【サーフィン研究所特大渾身号】サンクスギビング・ウェーブ_キャッチサーフの歴史4_(1495文字)

【サーフィン研究所・トリプル渾身号】瞬間的な感動を増幅させる愉しさとは?_キャッチサーフの歴史5_(1567文字)

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