Catch Surf® Special Skipper Fish 6’0”
The Groovy Fin
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波は続く。
東北東うねりの周期が、
平均11秒後半もある。
Photo by @supertakibishiyasu
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それが平均波高1.5mともなると、
セットの大きなのは背丈以上にもなった。
上画像は、
ホッシーが『ドリームアップ』の傑作
「クラシック’70s」を受け取ったところ。
ホッシーは、
『12フィートログからTheOne』
サーフ界垂涎(すいぜん)の怪達人カイくん(平松 海)をサーフ師匠であり、
他の分野では、
彼(ホッシー)がカイくんの師範という輪廻関係であるようだ。
私の大切な日曜日の弟子であり、
ナチュールワイン好きな好青年だ。
ほんたうのヤマザキさんが、
クラシック・ピン84(254cm)をサーフモービルに搭載した。
マシコさんのところのリン(凛)がやってきて、
その秘めた山口百恵ぶりを発揮していた。
グルービーフィンのキールが、
エリック・クリステンソンの、
ミレニアム・ファルコンの73(221cm)にピッタリだった。
このキール・デザインにはさまざまな工夫と歴史があり、
1970年代カラーとのマッチングに奇跡的な縁を感じた。
(第一部終わり)
昨年に総計13000字となるキャッチサーフの歴史を書き上げた。
今日はその第9回目を掲載します。(9/10)
9.
スキムボーダーの台頭
ラグナビーチ出身のタイラー・スタナランドは、
キャッチサーフのメイン・チームライダーだ。
さらに書くと、
彼はライフガードであり、
フィジーのクラウド・ブレイク(怖波)の、
ザ・デイを征服することができるリアルなサーファーである。
一見すると、
人気TVドラマ「ベイウォッチ」で見たことがあるような端正な顔立ちをしていて、
『Beverly Hills, 90210(ビバリーヒルズ高校白書)』
に出ていそうな長身美男子であると思ったら、
本当にドラマに出演している俳優でもある。
Selling the OC(Netflix)で人気絶頂となった。
考えてみると、
欧米において演技派俳優で、
波乗り達人という人物は世界初となるのか。
(*エルビス・プレスリーもいい線いっていたけど、
じつのところサーフィンが著しくイマイチだった)
(**ジェリー・ロペスは、
俳優業としてはブレイクしなかった)
長身で知られるMLBの大谷翔平くんは、
すばらしいネーミング・センスを誇り、
チームメイトに「イカくん」とか、
「イケメン」と呼んで定着させている。
大谷くんならば、
タイラーのことを「スーパーモデル」と呼ぶだろう。
ラグナ・ビーチでもうひとり忘れてはならないのが、
ブレア・コンクリンである。
Tストリートの天才はジョニー・レッドモンドで、
カリフォルニア・コーストでの天才がブレアだと、
名を知られる横乗りバランスの5ツール・サーファーだ。
この天才ブレアと、
スーパーモデルのタイラーたちは、
キャッチサーフの新作に乗って、
あちらこちらのショアブレイクで伝説を作っていた。
新作というのは54だったり、
いわゆる短いミニ系で、
彼らスキマー(スキムボーダーのこと)が、
キャッチサーフの短身ボードの性能を上げたと言えよう。
短いレイルラインをビシリとセットし、
ニューポートのウェッジやシールビーチの激掘れクロスオーバー、
またはフィジーの激波をメイクするのがSNSで公開されると、
ちょっとしたブームとなり、
世界中からのオーダーがやってきて、
キャッチサーフ社は第三次品薄となった。
さて、
キャッチサーフでは、
54や50などの短いボードは、
絶妙なるフィン位置によって、
ターンが絶妙となっている。
例えば、
各フィン位置は、
ネヴ・ヘイマンだったり、
ライアン・イングルというマニア・エンスー系のシェイパーに依頼している。
鬼才クレイ・マーゾがマウイの轟波で54に乗って、
超が付くほど気に入り、
そのままチームライダーとなった。
クレイは、
チャッキーことローガン・ドゥリアンの「SNAPTシリーズ」で、
そのレイバック・スラッシュや、
インポッシブル・バレルをメイクして、
私たちのドギモをすべて抜いてしまった。
チャッキーとはアナコンダ・コスタリカやフィジー未踏島に行った盟友なので、
隠しページにリンクがある。
そのいくつかはこの文字列をクリックすれば読める仕組みとした。
ブレアとタイラーによるミニボード革命によって、
スーパー・サーファーたちが、
ショーオフすることがトレンドとなり、
「超性能のキャッチサーフ」
という口コミや推しが拡がっていった。
ブレアは、
各地に完成したウェイブプールでもキャッチサーフの潜在的かつ、
究極なる性能をデモンストレートし、
その人気というギアをさらに上げていった。
WSLからのエリート、
カラニ・ロブがハッピーサーフ=キャッチサーフ教に入信済みであり、
さらに前述したブレア・コンクリンとタイラー・スタナランドによって、
ミニボードのありえないほどのポテンシャルによって、
輝く世界観を獲得した。
そしてミスター・パイプライン、
サーフシーンの超異端児JOBことジェイミー・オブライエンが、
このキャッチサーフの7〜オディシーや、
6フィート台のスキッパーフィッシュで、
バックドア、
パイプライン、
そしてワイメア・ショアブレイクで
前代未聞の挑戦があり、
それらは全て水戸黄門や遠山の金さん的な結末となり、
「ゆるくハッピー。
でもワールドクラス」
そんなサーフ新時代が開始されていた。
(最終章10に続く)
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【キャッチサーフの歴史:バックナンバーズ】
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