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naki's blog

私の波乗りの歴史_第21編_ノースハワイに_(3002文字)

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Hanalei Bay, Kauai 2016

(このブログ内で言うところの三日月湾、ノースハワイ)

お待たせしました。

少し間が空いてしまいましたが、

連載企画の第21回目です。

最初から読まれたい方は、

第1回のこちらをぜひぜひご覧になってください↓

私の波乗りの歴史_第1回_(2282文字)

前回の20回はこちら↓

https://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/70662

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私は晴れて写真家となり、

さらにはジャーナリストとして仕事がもらえ、

コンテスト会場はもちろん、

さまざまなところに派遣されていった。

私が所属していたUSサーファーマガジンというのは権威だったので、

その「サーファーマガジン」の写真家というだけで、

普段入れないところに入れたり、

さらにはコンテスト中の規約であった

水中フォトグラファー1人、

ビデオグラファー1人

という枠の1番上にクレジットされるほどの扱いだった。

その特権を使えば、どんなときも泳いで撮ることが可能だったので、

ブレイクの特等席に陣取り、

世界のトップサーファーの波乗りを撮ることができた。

2002_bruce

Bruce Irons, Cole HPS 5’10”

Lowers Boost Mobile Pro, 2002

.

そんな中、

サーフィング業界にもインターネットの波が押し寄せてきた。

『スウェル』

『ハード・クラウド』

ふたつの巨大サイトが立ち上がった。

どちらのサイトでもそのコンテンツを満たすためにサーフ写真家を募集していて、

自分の持っている写真を提供するだけで、

月に2000ドル、

つまり24万円ももらえるという夢のような仕事だった。

(1999年当時の為替レートはおよそ1ドル=120円)

簡単に言うと、

スウェルは「Surfingマガジン派」で、

ハードクラウドが「Surferマガジン派」だった。

ちょうどその頃は、

アート・ブルーワーたちと一緒にいることが多かったので、

ハードクラウドから声がかかった。

月に一回「1000pixを30枚」と指示があり、

その共有サーバー内に既存の作品を納品するだけのものだった。

こんなことでこんなにお金がもらえていいのかと、

内心ではいぶかしがったが、

「写真家というものはこうあるべきだ」

そうアート・ブルーワーが教えてくれたので安心した。

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(当時のマットとフォードのアーチボルド親子)

が、しかし投資家の思惑通りにはいかず、

その両社が1年後に突然倒産してしまった。

というより、

「コンセントを抜いた」

という英語表現で、親会社が投資をあきらめたというのが実情だった。

その負債はスウェル社だけで

2400万ドル(およそ28.8億円)だったというのだから、

アメリカのベンチャービジネスのタフさがわかるだろう。

ハードクラウドは解体、

スウェルのコンテンツと有能なスタッフはサーフラインが引き継いたため、

このインターネット勝負は、サーファーマガジン側の負けとなった。

私も給料がなくなってしまったが、

雑誌の執筆やサーフボードプロデュース、

そして写真業とやっていたので、

「なあに、毎月のボーナスがもらえなくなっただけ」

そうさっぱりしていた。

そして写真を撮り続け、

さらにはサーフブランドをプロデュースしたり、

マーケティング、PR役をする業務をしていた。

その後、

プロデュースしていたサーフボードブランドが走り始め、

同時にそれが商業的すぎることに大きな疑問を持ち始めた。

そこで、渡米する前からの夢であったハワイ移住を考えるようになった。

「しかし、パイプラインがあるオアフ島ではない」

そんな前提を掲げて、島探しが始まった。

私の波乗りの歴史_第7編_パイプラインの波_(2169文字)

ただ周りの人たちは、

「この仕事がもったいないのでもう一度考えるように」

そんなことを言われ続けていた。

そして下見として、

カウアイ島(ノースハワイ)に純城の計らいで行くことになった。

島の南西にあるカラヘオという街に純の友人のスパーキーが住んでいた。

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そのスパーキーの案内で、

白い砂、どこまでも透明な海のソフトサンドにパドルアウトした瞬間、

「ここに住もう。ここで皿洗いでも掃除業でもなんでもする」

直感的にそう決めて、

その3か月後には家族を連れてカウアイに移住した。

さらには、

その「もったいない」という言葉を受けて、

「自分がプロデュースしたサーフボードをインターネットで販売する」

ーー当時は夢物語のようなことーー

このNAKISURFコムを始め、

さまざまな人に助けられて、おかげさまで今に至っています

さて、あの日、

カウアイ島は、それまで訪れていたノースショア、

つまりオアフ島とは全く違う気配があった。

カウアイ島はオアフ島から160kmほど北に浮かぶ島で、

ハワイ諸島の長い歴史では、

最も最初に陸地になった島であるという。

そこにはアンディとブルースのアイアンズ兄弟が住み、

つい先日WSLで優勝したシーバスこと、

セバスチャン・ジーツ、アレックス&コア・スミス、

ベサニー・ハミルトン、ジョン・ペック、

レアード・ハミルトン、カイポ・ハキアスがここに住んでいて、

さらにはジェリー・ロペスが一番好きな波

「無限リーフ(ブログ内では闘牛岬)」があった。

オアフのノースショアとの大きな違いは、

「サーファーがやたら少ない」

「超が付くほど安全で、何も盗まれない」

ということだろう。

パイプラインやワイキキ、

アラモアナ、ハレイワがあるオアフ島は、

車の中にサングラスが見えただけで、

ガラスを割られて盗まれたり、

波乗りして車に戻ってくると、

タイヤが全てなくなっていたりするほど治安が悪かったのだが、

ここカウアイは、信じられないほど安全だった。

前出したスパーキーを含むローカルたちは、

車のイグニッションから鍵を抜いたことがなかったり、

家の鍵などは、人生で一度もかけたことがない、

そんな安心できる治安も気に入った原因だった。

カウアイにもノースショアがあり、

冬波は、

ハワイ諸島では最初に一番激烈な波がぶち当たるということで、

不文律ながらサーフ界ではトップシークレットとして、

一流サーファーに知られていた。

(ノースショアというのは北海岸という意味)

で、波が大きくなると、

ウエストサイド(西海岸)のエリアの波が良いと知り、

そこで毎日無人の世界クラスの波に乗り続けた。

それまでは『世界クラスの波』ともなると、

「年に1、2回訪れるその日を待つ」か、

各ブレイクのシーズンを狙って、

どこか高名な場所に飛行機で出かけていって、

ギャンブル的に波を当てるというのが相場だった。

ノースハワイ、

すなわちカウアイ島はそんな世界クラスの波があふれていた。

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White House, North Hawaii 2016

ここでは虹だったり、

アロハ精神というのを学ぶ毎日だった。

そしてドノバン家族が越してきたり、

長老フレちゃんと出会うにいたり、

さらには人生最愛の波

『ホワイトハウス』をここで知りました。

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(続きます)

このアロハ精神のことをNALU誌に書きました。

もう11年も前のことになるのですね。

【naki’sコラム】vol.11 虹のかけはし