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naki's blog

【ドラゴングライドプロダクションズ文芸】蔵ラウンジ物語:室戸菩薩のこと_(3259文字)

止むともなく雨が降っていた。

岬からの風が、

その大粒の雨を揺らし、

蔵の南面をたたいて音を出している。

公休日で、

宿泊者もない午後だった。

蔵と母屋の屋根が雨よけとなっていて、

ミカドアゲハが黒白の羽根をゆするように飛んでいた。

水色のシャツを着た真央は、

蔵の中にあるバー・カウンター越しにその美しい蝶を追っていた。

「こういう南風のときに良くなるんだよ」

グラスを拭きながら、

ラウンジのマスターである龍樹(りゅうじゅ)は言った。

「(羽根)岬の岩場か」

真央(まお)が、

蝶から目を離さずにそう言った。

「不思議な波だ」

「ほう」

以前にもこの波のことは聞いているはずなのに、

知らぬふりをするように真央はうなずいた。

「で、どんなことになるんだっけ」

「波に乗ると、インサイドで流されて…」

「それだ!いつのまにか飛石神社の前にいるというのだろう」

「その通り」

「まるでテレポーテーションだが、それが信じられてしまうのも室戸だからだろうな」

「不思議な場所さ」

いつのまにかミカドアゲハはいなくなっていた。

「室戸は気の良いところさ」

真央はそう言いながら立ち上がり、

蔵を大股で出ていった。

きっと羽根岬に向かったのだろう。

真央が出てから、

龍樹は盤に針を落とした。

彼はオーディオ・マニアであり、

1960〜80年代の曲群が特に好きだ。

8ビート。

Boz Scaggs / Middle Man

と書いてあるレーベルが廻っていた。

次にかかったのは、

ニール・ヤングの「ハーベスト」

“Out on the Weekend”だ。

イントロと同時に

赤いワンピースを着た女性がドアの向こうに現れた。

「こんにちは、営業されていますか?」

「ええ、どうぞどうぞ」

龍樹は、

右手でカウンターをゆっくりと左から右に払った。

メガネ越しの笑顔が、

彼の人柄を良く表している。

「どこでもお座りください」

そんな意味であるらしかった。

女性は長い髪を片手で押さえながら、

3つある椅子の、

一番入り口寄りに座った。

白い手でおしぼりを開き、

蔵の中——ラウンジの内装をうれしそうに見ている。

「ニール・ヤングね」

赤いマニュキュアをした指で髪を払い、

長いまつげを上に押し上げるようにそう言った。

「わかりますか」

「もちろんです。バッファロー・スプリングフィールドも好きです」

「すごいです」

「グラス・スパークリングをください」

「かしこまりました」

「ここに来るのは始めてですか?」

シャンパン・グラスをコースターの上に置きながら龍樹はそう聞いてみた。

「はい、ここは何度も通っていましたが、ここに来るのは初めてです」

「お遍路さんでですか?」

「そうです。私の場合はみくろどと三山、

そして不動岩専門ですけど…」

「そうなのですね」

インスタグラムで蔵ラウンジのことを知り、

高速バスでやってきてくれたのだという。

気というか、

地のパワーを感じる人だと直感的にわかった。

けれど、

室戸三山が好きとは変わっているなとも思った。

この室戸エリアというのは、

鬼だけが住む土地というほど、

人が畏怖するパワースポットでもあるからだ。

ニールが”A Man Needs a Maid”と切なく唄っている。

盤に目を移すと、

あと2曲残った円状の線がゆらゆらとうごめいていた。

「何か聴きますか?」

龍樹がそう言うと、

女性はうれしそうな顔をした。

彼女は、

スパークリング・ワインをもう一口飲み、

「このあいだ、ここ(SNS)でスイング・スロウのトピックを見たの」

「細野さんのスイング・スロウですね」

「でね、Good Morning Mister Echoのことを調べたの、

ジェーン・トゥルージーがこの曲をヒットソングとしたのは1951年。

ボーカルをオーバーダビングしたからでなく、

こだまにグッドモーニングと言う大らかさ、

そのスケール感が良かったのでしょうね」

「このアルバムの発売が1996年とあるので、

細野さんは45年後にカバーしたんですね」

「早速かけましょう」

「あの、お願いがあるのですが…」

「はい」

「リクエストの盤が廻ると、

片面が終わるまでマスターがいなくなるそうですが、

今回は一緒に聴いていただけますか?」

「もちろんです。聴きましょう」

Mister Echo echo

Good Morning, Mister Echo

How are you today

Good Morning, Mister Echo

Won’t you take my cares away

Whenever I had trouble

I know just what to do

They vanish like a bubble

if I just count a new

I used to think that someone else

Could solve my problems too

But now he’s gone and I’m alone

So I came back to you

So when I’m feelin’ lonely

As lonley as can be

I call on Mister Echo

‘Cause he always talks to me

He’ll keep on a talkin’ to me

He’ll keep on a talkin’ to me

Mister Echo echo

いつのまにか雨は止んでいて、

すっかりと暗くなっていた。

真央が帰ってきた。

「1杯くれ」

北側の椅子を壁側に動かして座り、

聞こえるか聞こえないかの強さでそう言った。

龍樹はスパークリング・ワインを注ぎ、

真央の前に差し出すと、

女性に向けてグラスを上げて乾杯の仕草をした。

ティンパンアレーをかけた。

メロディがいまの雰囲気に合っていると感じたからだ。

『チャタヌーガ・チュー・チュー』

1941年のアメリカ、

グレン・ミラーのカバーだ。

ポピュラー音楽は、

ミスターエコーよりさらに10年歴史をさかのぼった。

「すごい波だったよ」

龍樹に言うでもなく、

もちろん女性に言うでもなく、

蔵の中に向けるように真央は言葉を発した。

「あそこに出たのか?」

「ああ」

真央がそう言うと、

女性は何の話か理解したようで、

「羽根岬から飛石神社へのトンネルね」

真央と龍樹は驚き、

互いに顔を見合わせてしまった。

「驚かせてごめんなさい。あの辺りはそんな不思議がたくさんあるのよ」

「——」

「不動岩の伝説はご存じ?」

「——」

ふたりは何も答えられないでいた。

阿波大龍嶽に登りよじ

土州室戸の﨑に勤念す

谷響きを惜しまず

明星来影す

女性はこの言葉を流れるように発し、

金剛頂寺が女人禁制であったため、

不動堂が女性の納経所であった時代のこと、

そこに祀られている波切り不動明王のことを語り、

次に孔雀明王のことを話した。

とっくに空腹のはずで、

話に夢中で音楽も止まっていたが、

誰も気にならないのが不思議といえば不思議だった。

慈悲あふれる美しい女性的な話の数々を聞き、

真央と龍樹は涙があふれそうになるのをこらえていた。

この女性は菩薩なのかもしれないと直感したと、

二人は後ほど語っていた。

気づくと朝になっていて、

龍樹は自分の部屋でいつものように目を覚ました。

昨夜の女性が気になって、

蔵に戻るが、

やはりそこには誰もおらず、

しかも真央が動かしたはずの椅子も、

飲んだはずのグラスもなく、

あれがすっかり夢だった気がするのが奇妙だが、

それも信じられてしまうほど心は開かれていた。

三津の集落の上に朝陽が昇ってきた。

ウグイスの鳴き声に合わせて口笛を吹くと、

裏山にそれがはね返り、

山びこが返ってきた。

そして、

昨夜聴いたミスターエコーのことを思い出していた。

Good Morning, Mister Echo

How are you today?

Good Morning, Mister Echo