Nation Sonic Boom 5’4″
ショートムービー、現在製作中です。
あれから4年が経つのですね。
短かかったような長いような。
ずっと、永遠のテーマである「なぜ波に乗るのか?」。
そのことを考えていた。
健康になるから?
いや、そうだけど答えは違うと思う。
かっこいいから?
全く違う。
日常生活と全く違うことをしたい。
そうは思える。
危険そうで安全だから。
その通りかもしれない。
フィジーで怪我したのを最後に10年間、無傷だし。
.
でもそんな質問と答えをいくら並べても答えは出ないだろう。
私は飽きっぽい子どもだった。
文章が好きで、小説家になりたくて、
母に連れられて有名な小説家先生の家に訪ねると、
「それはすばらしいことじゃ」
「で、先生、どうすればこの子は小説家になれるのでしょうか?」母
「うーん、君はまだ小学生だからいろいろなことに興味を持って、
勉学に励み、両親の言うことを聞き、友だちを大切にし、スポーツも大事だ」
「先生、それでは具体的にどうすれば良いのでしょうか?」
「今日から文章を、10年間書き続けなさい。されば夢はかなうだろう」
「文章、何の文章でしょうか?」
「ま、日記でいいじゃろ。日記を毎日書きなさい。
なんでも良いから10年間毎日書いて、それで私のところに持ってきなさい」
「わかりました。ありがとうございました」
という母と先生のやりとりがあって、
私は小説でなく、日記を書くことになった。
初日は、
「こんなすばらしい先生のところに行って、だから今日からここに10年間書きます」
という決意系のものだった。
しかし、2日目は谷川俊太郎さん訳のピーナッツについて書き、
3日目には「今日は何もありません」。
そんな日記帳を19年前に母が亡くなったときの片付けをしていたら見つけた。
それから空手を始めて、
それは夢中になって、本気で稽古を毎日したけど、
ある日を境に突然行かなくなってしまった。
それからバイク。
スクーターから始まり、
次にはギア付きの50cc(MBX)。
ヤマハのRZ50が欲しかったのだが、
なぜホンダにしたのはいまだにわからない。
そして中型免許を取って、ホンダのVFに。
ここでもヤマハのRZ350が欲しかったのだが、
”14500回転は軽く回る”というV型エンジンに惹かれてしまった。
ブーツにグローブはもちろん、
分厚い革ツナギを着て、
最も頑丈だとされるヘルメットをかぶり、
クリッピングポイントへの入り方、高速コーナーでのかぶせ方、
タイヤへの摩擦の最良なる角度等々をいつも考え、峠道を本気で走っていた。
バイクに乗っていると、それは非日常な速度があり、
全てが後ろに消し飛んでいってしまうような感覚があった。
その時だけは自分の人生が消し飛んでも良いと感じていた。
ただ、母だけはそれが心配だったようで、
私がバイクに夢中になればなるほど、彼女の心配は強くなっていた。
そんなとき、アルバイト先の旅行で千葉の白子海岸に行った。
その海の家にあったのは貸ブギーボード。
友だち3人でそれぞれそれを借り、沖を目指すことになった。
その日は今思うと、肩〜頭くらいのわりと強いオンショア。
しかも小雨のコンディション。
友だち二人はすぐに脱落して、
私は銚子の海で育ったということもあり、
泳ぎには自信があったので、
ずっとずっと沖を目指して腕を回し続けた。
でも、どこまで行っても波は途切れることなく、
白波が沖からやってくる。
1時間は漕いだだろうか。
海の家が遠くに見えたところで意を決して波に乗った。
それが偶然良いセットだったようで、
(もしかしたらだが、直感的に良い波を選んだのだと思う)
それはものすごい落下をして、吹き飛ばされるように波に乗った。
ただファーストセクションを過ぎると、波はみるみる弱くなっていく。
長く乗りたい、岸まで乗っていきたいので、
左右を見ると右側の波が強く見えたので、
足を入れて抵抗をかけて、じわじわと失速しながらも右に行く。
セカンドセクションの衝撃があって、
また同じようにすぐに弱くなっていく波。
また右側に行けば波は生きている。
今度はバイクのように体ごと傾けると、
失速しないでボードは曲がっていった。
「ウオー!」
感動するほどのスリルと体感Gを受けたまま、
その次のセクションに飛び込むと、
もみくちゃになって、うれしさのあまりボードを離してしまった。
浮かびあがると、
足が付かないほど深かったので、
岸に向かって泳ぐと、もう岸のそばで、波の先に砂浜があった。
そこからさらにのんびり泳いでボードを取って、
今度は岸から近いところからさっきの要領で波に乗り、
バイクのように何度も体を傾けてターンのマネをしていた。
「波乗りはものすごくおもしろい!」
そう実感した瞬間だった。
でも、あまりにも夢中になってしまい、
「(迎えの)バスでみんな待っているぞ」
先ほどの友だちが雨の中やってきて、
しぶしぶ上がると、手足全てがふやけていた。
で、それからずっと波乗りのことを考えていた。
バイクよりもスリルがあって、
しかも転んでも吹き飛ばされても無傷であるから、
もしかすると安全で、
それならば母を心配させることはないだろう。
そう自分に言い聞かせていた。
時代は、駅のソバの丸井百貨店でサーフボードが売っていて、
ライトニングボルトの分厚い10cmはあるレインボーソールのサンダル。
タオル地の鼻緒が付いているのがサーファー風だった。
テクノカットよりサーファーカット。
モードよりもアロハシャツにジーンズ。
レイヤーカットにボウルカット。
ヒゲにオキシドールでブリーチした髪。
知り合いの人がサーファーだったので、
安くボードを売ってもらえないかと聞いてみると、
「あのさ、お前だから言うけど、波に乗れるボードはないんだよ」
そういう返事が返ってきた。
どうしてそうなのかを聞いてみると、
「ナイショだからな」
と小声で教えてくれたのは、
彼は、「陸サーファーだけど、そうは見せない」
ということに徹底的にこだわっているということだった。
ボードにセックスワックスのストロベリーもきちんと塗るし、
晴れたらどこにだって日焼けしに行くし、
サーフ用語は全て知っていて、
今思うと、
「マメマスダのレイバック」とか、
「カカイのローラーコースター」
という津田明さんの著書からの受け売りだった。
ハワイには行ったことがないが、
だいたいの波の場所は頭に入っているという。
「サーフィンするなら奄美がいい」
そんなことも言っていたことを思いだした。
(その頃の私は、奄美は新島の向こうにあると思っていた)
さらに自慢のサーフボードを見せてもらった。
そこに付けられて丸まった極太リーシュは、
パイプライン製の黄色い半透明のもので、
それについても聞くと、
「あのな、これが一番ビッグウエーバーに見えるんだよ」
続けて、
「サンセットビーチで切れないのはこのタイプだけさ」
というようなことを会話にはさむと、
彼のカノジョたちはイチコロらしかった。
トロイのハイネック、新島、ハマトラ、ニュートラ、50円ゼビウス。
花札の任天堂からファミコンが発売され、マリオ、ドンキーコング。
YMO、松田聖子、小泉今日子、PL一年生の桑田真澄、
千代の富士、サザンオールスターズ、矢沢永吉、沢田研二、ET。
時代は陸サーファーの存在が終わりを告げようとしていた。
私はまだ白子海の家以来、サーフィンができないでいた。
バイト先に、
本物のグッドサーファーとされていたKさんがいて、
彼は丸井の4階で、
「ケンブラッドショウのシングルフィンを買ったから、
来週の店休日(火曜日だった)に千葉に行こうぜ。
大波用だから波が大きくないと走らないらしいんだ」
平日だけど、ボクはKさんと一緒に千葉に行くことになった。
(こちらに続きます)
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