【日曜日の連載シリーズ4月編】
銀鯖道の夜
十九
ジロバンニが、
「シギパネルラさんは前からここに居たの。」
と云はうと思つたとき、
シギパネルラが、
「ぼくはね、
ずゐぶんパドリングしたけれども遲れてしまつたよ。
ダツクダイブもね、
ずゐぶんしたけれども冲に出られなかつた。」
と云ひました。
ジロバンニは、
(さうだ、
シギパネルラさんは、
ブルー・ドラゴンのエツクスで冲に出ようとしていたのだ。)
とおもひながら、
「何かあつたんですか。」
と云ひました。
「うねりはもう無くなつたよ。
銀鯖のお祭になつたんだ。」
シギパネルラは、
なぜかさう云ひながら、
少し顏いろが青ざめて、
どこか苦しいといふふうでした。
するとジロバンニも、
なんだかどこかに、
何か忘れたものがあるといふやうな、
をかしな氣持ちがしてだまつてしまひました。
【解説】
17章ではジロバンニは、
タマサキの丘にいて、
気づくと父ちゃんのキャラバンに乗っていた。
ここからもわかるように、
ジロバンニの場所(3次空間)から、
銀鯖道の世界(幻想第4次)への移行がなされたわけだ。
キャラバンに乗り合わせたシギパネルラは、
仏教観によるキャラクターとしてこれから描かれる。
これは余談となるが、
ミヤサバ先生が加筆した4次稿というのがあり、
その追加挿話をここに紹介したい。
「蛇の献身」
ブルドラの堤防に一ぴきのスネークがいて、
ネズミをたべて生きていたんですって。
ある日ウラノウチのタヌキこと、
タヌくんに見附かって食べられそうになった。
スネークは、
一生けん命遁げて遁げたけど、
とうとうタヌくんに押えられそうになったわ、
そのとき海に飛びこんでそこに落ちて溺れはじめたの。
そのときスネークは斯う云ってお祈りしたというの、
「ああ、
わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、
その私がこんどタヌキにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。
それでもとうとうこんなになってしまった。
ああどうしてわたしはわたしのからだをだまってタヌキに呉れてやらなかったろう。
そしたらタヌキもよろこんだだろうに。
法王とタキビ神、
私の心をごらん下さい。
こんなにむなしく命をすてず、
どうかこの次には、
まことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。」
って云ったというの。
そしたらいつかスネークは、
じぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって、
よるのやみを照らしていたのを見たという云ひ伝へがあるのよ。
この教えは、
仏教の開祖である釈迦の、
前生譚『ジャータカ』の捨身飼虎の物語にあるように、
飢えた虎に自分の体を餌として与えたことがベースとなっているのだろう。
宗教観あふれる19章となりました。
(20へ続きます)
文責:華厳旭 D.G.P.
◎
□