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さよなら(ALOHA)ホビー・アルター_CANVAS・THE PURCHASEムービー!_(1598文字)

こんにちは、

長い一日が終わろうとしています。

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こちらはサーフィンブームの波がやってきました。

マンガみたいに混んでいます。(笑)

それにしてもよくここまでの人が集まりましたね。

というのも、今日は、

ホビー・アルターの追悼セレモニーがドヒニーであったのです。

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ホビーことホバート・アルターは、

サーフィング界では、

最も重要なことを成し遂げたひとり。

サーフィング博士である

サーファーズジャーナル誌のスティーブ・ペズマンが、

ホビーのことについてこう説明していた。

「ホビーは17歳(1950年)のとき、

ラグナビーチでバルサボードの販売を始め、

それが成功すると、

21歳のときに親から受けた遺産(8000ドル)で、

1954年にダナポイントにサーフボード工場を作った。

それまではサーファーたちは、

木製(バルサ、レッドウッド)のボードを自作するか、

各クラフトマン(シェイパーと呼んでいたのでしょうか)

個別に注文していたに過ぎなかったので、

この商業化は大成功を収めました。

1959年には、

クラークフォーム創始者のゴードン・クラークと手を組み、

現在も続くポリウレタンxポリ樹脂サーフボードの製作を始め、

その安定した生産ラインのビジネスは、

1960年代のサーフィンブームのサーフボード供給を支え、

さらにはその発火材となったのです。

さらに革新的で機能に優れた軽量ヨットのデザイン

『ホビーキャット』を発明して、

”サーフィングとボート遊び”

という二つの大きなマリンレジャーを支持するダナポイント市に大きく貢献しました」

そんなサーフィング界では礎のような人がいなくなってしまいました。

 

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ダナポイントの銘海岸のひとつであるドヒニー。

それは緩やかな斜面が続き美しいブレイクを見せる。

沖にはヨットハーバーが拡がり、

それはまるでホビーのためにあるような海岸です。

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亡くなった人を偲んでパドルアウトするというのは、

ハワイアンウオーターマン流の追悼方法。

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この大事な日にドヒニーのライフガードタワーから写真を撮ることになりました。

SURFERマガジン誌とダナポイント市からの依頼でした。

サーファー誌のメインフォトグラファーであるJPは、

ジェットスキーに乗って水中から撮ります。

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サーファー誌の仕事は、

どこに入るのもその許可が一瞬で取れる。

これはサーファーマガジンという歴史を大切にする文化を感じました。

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こんなに多くの人がホビーにさよならを言った日。

ホビーキャットもありましたし、

ポリエスター製ボードもたくさんたくさんありました。

ALOHA!(さよなら)

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デイブ・ネイラー。

彼とランチの日でした。

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英国人らしく、

しっかりとしたゲームプランを持ってのサンドイッチランチ。

これは英国人というより、デイブの性格かもしれません。

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NATION/CANVAS工場に行き、

私と同様のレースカー。

ライアンもホビーの弟子でもあるので、

こうしてサーフボード作りは今も継承されています。

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デイブの作業とその仕上げを見るのはいつも楽しい。

現代のゴードン・クラークだろうか。

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サーフボードデザイナーのクリスチャン・ワック。

彼もまたホビーの自由意志を継承する人でありますね。

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CANVAS自信の

『パーチェイス・ムービー』はもうご覧になりましたか?

これを見るとノーズライドがしたくなります。

自由で、想像力が豊かで、

スタイルたっぷり、本当にすばらしい。

http://vimeo.com/92011417

The Purchase from Canvas Surfboards on Vimeo.

それではすてきな土曜日をお過ごしください。

 


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