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naki's blog

私の波乗りの歴史_第8、9編_トム・カレンさまのラニアケア_(1777文字)

第7編からの続きです。

私の波乗りの歴史_第7編_パイプラインの波_(2169文字)

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ワイメア編

これはまとめるとき、

またはいくつかの出版案をいただいたので、

そのときに詳細を書きます。

私の人生を変えた波でもありました。

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トム・カレンさま

パイプラインの波を乗ったボクは、

少しというか、かなりいい気になっていた。

タウンに行って、

ボビー・ブラウンのコンサートを見たり、

ホリデーマート(後ダイエー、現ドンキホーテ)で、

高価だった文明堂のカステラを買ってしまったのも、

もう少しでこの夢のようなハワイ滞在が終わってしまう決別と、

そして祖国への想いがあったからだろう。(大げさですね)

ロッキーレフトの波の仕組みが少しわかったり、

「ラニーズ」

そんな通称のラニアケアで、

予期せぬほど巨大なものすごいバレルに入った。

けれど、これは心の準備が出来ておらず、

出口がぽっかり開いているのに畏怖して飛び込んでしまい、

大先生マイケル・ホーに「お前は心が弱い」と諭されたりした。

そんな日も大好きなラニアケアでサーフしていると、

トレードウインドというサイドオフショア風がみるみると弱くなってきて、

さらには波も良くなってきた。

夕方、しかも日没後なので、セットのたびに人は減っていった。

本日最後の波を待とうと、

いつもより沖で波待ちをしていると、

ワイメア方面、つまり沖に向かって右側から、

パドルボードのようなガンに乗ったサーファーが近づいてきた。

もう一度その人の位置を確認すると、

なんとそれはトム・カレンだった!

当時の彼はサーファーたちにとって神さま以上の存在で、

日没後のオフザウオールあたりに出没したと聞くが、

まだ誰もそのお姿を見たものはいなかった。

彼はそのままボクの沖にやってきたと思うと、

セットの最初の一本目のコブ(芯)の中央にくるりとその長いガンを返し、

美しく、長い波に乗っていった。

目で追うが、インサイドには暗くてもう彼の姿は見えなかった。

すかさずその次の波に乗り、

彼を探すが、どこにも見えないので、

そのまま腹ばいになり陸を目指すと、

彼(さま)はすでに砂浜にいて、

その10フィート近いであろうガンを抱えて歩いていた。

「たった1本だけ!」

そんなことにたいそう驚いたのは、1989年の2月中旬だった。

私は今もその神さまの真似をし、

日没後にパドルアウトして、1本だけ乗ったりしている。

ちなみに現在のトム・カレンは、

レッツパーティ社が製作するスキムボードを改造して乗っていて、

そのボードからのバリエーションをタイラー・ウオーレンがシェイプしている。

そんなご縁となったのがうれしい。

この後、鎌倉から居を茅ヶ崎に移し、私は茅ヶ崎に1994年まで住んでいた。

当時、この地に天才児がいて、

それは現カラーズマガジン総帥のヤングヨゲ。

その”トム・カレンのラニアケア216事件”を教えると、

目を輝かせて私の真似をしたが、

「1本だけ乗るというのはむずかしいです。つい欲張って2本乗ってしまいます」

そんなことを平和学園の横にあったセブンイレブンのコピー機械の前で言っていた。

話は戻るが、

ハワイ滞在は、カステラをおいしく食べてからちょうど2週間後に終了した。

2015-11-11-Oahu_North_Shore_Surf_Spots

成田に着いて思ったのは、

「よしまた今年も冬のハワイに行くぞ!」

ということで、それは、

再び高給市場バイトに勤しむ自主ドレイの日々がやってきたことを意味していた。

鎌倉の家を原付ヤマハ・サリアンで、

夜中の12時に出て、横浜市の中央付近まで1時間かけて行き、

午後2時頃戻ってくる辛い毎日が始まっていた。

(雨の日が特に辛かった)

「サーフィンのためならエンヤコラ」

炭坑節の歌詞のような毎日が過ぎていった。

ただ、ハワイに行く前と違うのは、

波に乗る際には、

パイプラインやロッキーポイントをイメージすることができるようになった。

ときに低気圧が通過して、

クローズアウトすると、

無理やりパドルアウトしていって、

サンセットボウルだ、と思いながら海中でわざと両手両足を拡げ、

巻かれている時間を増やしたりしていた。

もちろんだが、

先日のエディ・アイカウの覇者、

ジョンジョン・フローレンスはまだ誕生すらしていなかった。

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明日の第9編に続きます。