新品・中古サーフボード販売、カスタムオーダー、ウェットスーツ、サーフィン用品など。NAKISURFは、プロサーファー、フォトグラファー、ルポライターで知られるNAKIこと、船木三秀のコンセプトサーフショップです。

naki's blog

いつも何度でも_歌詞の意味を読み解いてみた朝_”Let’s draw out dreams always”_「新しく人生をはじめて、いつも何度でも夢を見よう」_(4488文字)

2011_promise moon_9050

スーパームーン、見られましたか?

この超が付く月は2001年のもので、

下に見える波は、

大好きな大好きなホワイトハウス。

このふたつのコンビネーション作品は、

とても不思議な気持ちにさせてくれます。

今日はサーフィング話ではありません。

以前にもここでお伝えしましたが、

「いつも何度でも」

という美しい楽曲がある。

これを聴けば聴くほど、

歌詞の意味を読み解けば読み解くほど、

その永遠に続く輪廻のような気流に乗り、

どこまでも透けるような清浄と、

全て悟ってしまったような優しさに包まれる。

さらにはメロディと精神の同化の深さに酔い、

しばし満たされている新しい自分に気づく。

その中身があまりにもすばらしいので、

この曲のことを人に伝えようとして、

「すばらしいのです。特に歌詞が」

と言うのだが、ほぼ全ての人が、

「知ってますけど、歌詞の意味までは….」

この世界に入ることを直感的に拒まれてしまう。

「この世界」と書いたが、

自分は宗教家ではないので何も確信も持ってはいない。

さらに言うと、私もこの歌詞の意味がわからない。

できることなら作詞した人に直接伺ってみたい。

けど、しかし、いやきっと、

10年以上も聴き続けているし、

ここまで好きになった意味もあるだろうから

自分なりの解釈をここに書こうと思い立ったのが今朝。

まずはもう一度聴いてください。

これは作曲家の木村弓さんのオリジナル。

http://youtu.be/Imz9oFipliE

この楽曲は、

宮崎駿さんの映画

『千と千尋の神隠し』の主題歌となったことで、

私、そして多くの人に届いたメッセージです。

 

作詞:覚和歌子(かく わかこ)

 

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢を見たい

悲しみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたびひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

ラララララララララ・・・・・・・・・
ホホホホルルルル・・・・・・・・

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

悲しみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

201312_Dolphin_2713

そしてウクライナ出身のバンドゥリーストで、

日本で活動するナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)が歌うバージョンが、

私の胸を捕らえていつまでも離さない。

彼女は6歳のときに

『チェルノブイリ原子力発電所爆発事故』

によって被曝したという。

家族、友人、故郷。

そのさまざまな悲しみをナターシャが受けて、

そして背負ってきたのだろう。

ナターシャはこの歌詞の意味を深く知り、

その慈しみの解釈を入れて、

自身の人生と重ねつつ、さらには生と死の輪まで予感させ、

そして心を寄せて歌っているのがこちら。

http://youtu.be/6JiOQ1UBkzU

初めてこのナターシャバージョンを聴いたときは涙が止まらなかった。

じつはいまでも涙ぐんでしまうほどで、

音楽の持つ歓びと力強さを再確認させられた。

このすばらしい彼女の活動のサポートとなればと思い、

ここにナターシャ自主製作CDの販売リンクをおいておきます。

http://www.office-zirka.com/CDalbum.htm

201109_NH_9204

さて、

この歌詞の意味を自分なりに読み解いてみました。

まずこの詩で一番のキーワードとなるのが、

 

「さよならのときの静かな胸

ゼロになるからだが耳をすませる」

 

この一節でしょうか。

覚さんによると、

「この歌詞は12、3分程度で書き上げました」

とあって、

彼女にとってそういうこと(短い時間で完成すること)

はとても珍しいことだそうです。

さらに

“「さよならのときのー」

という箇所にさしかかったときに涙が止まらなくなり、

そしてそれは私が、

「大きなもの」とつながったからでしょうか”

そんなことをおっしゃっていた。

 

これを読み解くと、

それぞれの解釈がありますが、

この詩を貫くのは、

みたいな言葉で表現できると思います。

そして今までは、

この歌詞内の「ゼロ」は、

(=)死だと思っていたんです。

「そんなわけはない」

と一度ふりだしに戻してゼロという言葉を調べていくと、

インドの数のゼロが「シューニャ」だということを見つけました。

「覚さんは無意識のうちにこのゼロ、

つまりシューニャという単語を得たのではないか?」

そう推測してみると全ての説明が付いてしまった。

ここにその研究結果をおいておきますね。

まずはゼロ(0)はサンスクリット語で「シューニャ」。

このシューニャは仏教での概念であるのです。

同意語が「空(くう)」も意味しているとあった。

また「成長と繁栄を意味する動詞」でもあるそうで、

そこからこの誌を翻訳すると、

 

「さよならのときの静かな胸

新しくはじまったからだが耳をすませる」

 

となりました。

そして、

「さよならのとき」のラインがとても悲しいので気になります。

上にも書きましたが、

覚さんがこの箇所の作詞中に

「すごく大きなものとつながったことを感じました」

と言っていらして、

とするとこの場合の『さよなら』は、

じつは前向きな言葉なのではないか?

と直感しました。

というのは詩の後半に

 

「悲しみの数を言いつくすより

同じくちびるでそっとうたおう」

 

とあり、

これは「今までのエゴや悲しみを持つ自分」

と決別できたのだと思うのです。

そして生きる、という生命哲学が成就した証に

 

「生きている不思議死んでいく不思議

花も風も街も みんなおなじ」

 

と生と死を達観し、

植物も無機質なものも人と同じように消失するとしています。

 

さらには大事なのが、

「消失と、今までの自身と決別できた結果」

として詩の中ごろに

 

「呼んでいる胸のどこか奥で

いつも何度でも夢を描こう」

 

ここにこの作品のヘッドラインが完成しています。

だからこの詩の題名が『いつも何度でも』となっているのですね。

覚さんはきっとこの題名を『いつも何度でも夢を描こう』としながらも、

あえて『いつも何度でも』と後半部分を省略したのでしょう。

この箇所は英語版には、

“Let’s draw out dreams always”とあって、

この崇高なる楽曲にふさわしい重要なラインだと思えます。

でもこの省略は、

「気づける人だけに気づいて欲しい」

という形の「このことはあえて言わないし、書きません」

というスタイルとなっているようです。

 

「閉じていく思い出のそのなかに

いつも忘れたくないささやきを聞く」

 

前記した「今までのエゴや悲しみを持つ自分」

がここでリピートされています。

ただ、その前世の自分が持っていた

「大事な言葉」を新しくなる自分に残しておいてね、

という示唆があります。

その後すぐに

 

「こなごなに砕かれた鏡の上にも

新しい景色が映される」

 

ここでの鏡とは=自分のこと

新しい景色とは、上記した新人生でのものということですね。

 

そして詩の最後はこうして終わります。

 

「海の彼方にはもう探さない

輝くものはいつもここに

わたしのなかに見つけられたから」

 

「海」=前世で見続けていた*ニライカナイ伝説。

(*ニライカナイ伝説=海の彼方にあるとされる理想郷。

沖縄県や鹿児島県奄美群島に伝わる他界概念)

 

海の向こうが理想郷ではない、そして、

 

「輝くもの」=心躍る新しい生き方

つまりわたしのなかに見つけられた=新しい生き方を獲得したということです。

 

この歌詞は「死の現実」と読み解かれることが多いようですが、

私流の解釈では、

できれば生きているうちに死を知って、

それを良い方向としてみたいというのが根本にあるのではないか、と。

まとめますと、この歌詞の意味は、

新しく人生をはじめて、いつも何度でも夢を見よう」

ということではないでしょうか。

いまを辛く、悩んでいる人、

そしてこの楽曲が好きな人たちが、

優しく、新しい人生が始められますように。

201106_NH_Flowers_9302

調べていく途中に英語版の詩も得たので、

ここにおいておきます。

It’s calling out from deep within the heart
I always want to dream cheerful dreams

Sadness can never be counted but
I will be able to see you on the other side

Every time people repeat mistakes,
They know the blue of the simply blue sky
It seems as if the road continues endlessly but
These hands can find light

The quiet heart when parting
The ear listens as the body changes to zero

Living, mysterious, dying, mysterious
The flower, the wind, the city; they’re the same

La la la la la la…

It’s calling out from deep within the heart
Let’s draw out dreams always, numerous times

Instead of stating the number of sadness
Sing softly with the same lips

Even in the closing memories, there are always
Whispers that cannot be forgotten
Even on the shattered mirror shards,
A new scenery is reflected

The quiet window on the beginning morning
The body that is changing to zero is being pleased

I won’t search beyond the sea from now
The shining thing is always here,
It can be found within myself

La la la la la la…

inaris_8x12_V4017

満月で満たされて、

新月で新しくなるような生き方をしていきたいです。

それでは今日も、

そして今日からもすばらしい日となりますように!

2011_Rainbow_4827


One thought on “いつも何度でも_歌詞の意味を読み解いてみた朝_”Let’s draw out dreams always”_「新しく人生をはじめて、いつも何度でも夢を見よう」_(4488文字)

  1. Pingback: NAKI’s ブログをぜひ_憧れのイタリア_ガスメーター過去最高記録 | ニコリンブログ | NAKISURF ナキサーフボードカリフォルニア