銀鯖道の夜
二十六
「ああたいふうの浪が咲いてゐる。もうすつかり秋だねえ。」
シギパネルラが窓の外を指さして云ひました。
岬のへりになつた海の上に、
月長石ででも刻まれたやうな、
すばらしい形の浪がくずれてゐました。
また遠くから法王さんの聲がきこえて來ました。
「タマサキ浪の形はちやうどこんななのです」
突然に法王があらはれて、
たくさん光る浪のつぶの入つた小さな球體を指しました。
「太陽がこのほぼ正面ごろにあつて、
いちいちの光る浪がそのすぐ近くにあるとします。
みなさんは浪のまん中から見まはすとしてごらんなさい。
ガラスよりも水素よりもすきとほつて、
ときどき眼の加減か、
浪が薄いところでは、
ちらちら虹のやうにぎらつと光るものがたくさん見えます。」
【解説】
たいふうの浪=台風の波
ゐる=いる
云ひましたー言いました
聲=声
ちやうど=ちょうど
球體=球体
いちいちの光る浪=それぞれ光る波
見まはす=見回す
ちらちら虹のやうに=キラリと虹のように
「抑制された思考の解体、そして革新」
という所懐(個人の考え)から考えてみると、
ミヤサバ先生による波表現は、
もはや宇宙的思想であるといえるだろう。
卓越した演者であるシギパネルラと、
受容者(ジロバンニ)への分離という本質的な規定条件が揃った。
波から受ける感動を正確に描くことで、
第四次幻想世界にいるはずのふたりは、
相反する事項を原則的なこと、
つまり波のなかから見た陽光のキラメキを感受して、
読者に色彩として訴え、
まぶたのなかに風景視界を残す。
そこにはもはや太東岬の檀那の畏怖などはすっかりとない。
物語は、
新次元=新章へとシームレスで移行しているのだ。
こんなことからもミヤサバ文学が、
際立った高評価に値する理由でもある。
(27へ続きます)
文責:華厳旭 D.G.P.
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